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第28回 幻想のエレクトロニクス 『水に沈む羊』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第28回 幻想のエレクトロニクス 『水に沈む羊』

第28回 幻想のエレクトロニクス

『水に沈む羊』(港の人) 山田航 装丁:吉岡秀典

 小学生のころ、「ボンバーマン」というコンピューターゲームが流行していて、それが大の苦手だった。

正確にいえばゲーム全般が下手だったのだけれど、特に「ボンバーマン」に関しては楽しい記憶がない。

狙ったところに爆弾をしかけて敵を倒すという単純なルールで、ストレス発散になるから人気をあつめたのだろうが、これが相当難しいのである。

映画のようなリアリティがある最近のゲームとちがって、当時のビットマップ画面はかなり不鮮明だった。キャラクター造形も曖昧で、主人公の「ボンバーマン」である自分も、敵の姿も、ハッキリとはわからない。

スライム状の宇宙人みたいなやつや、風船みたいなかたちをした得体の知れない敵が、複雑な迷路を縦横無尽に動きまわり、逃げてもすぐに追いつかれてしまう。

あるいは、自分がしかけた爆弾で身動きがとれなくなり、あっさり自滅。ずっとそのパターン。反射神経ゼロ、とにかく不器用でどんくさい私は一度もクリアすることができず、かえってストレスがたまるばかりだった。

 それなのに、なぜ途中で放りだしもせず延々やりつづけていたかというと、ひそかな理由がある。

ゲームの取扱説明書に書いてあったストーリーが好きだったからだ。

地下の迷宮で爆弾製造に従事させられていた主人公のロボットが、地上に出れば人間になれるという噂を聞いて脱出しようとするはなし。

私はボンバーマンが人間になるところを見たかった。

たとえ不鮮明な画面だろうと、どうしても、見たかったのだ。

 長いあいだずっと忘れていた記憶が、本書を手にとったときによみがえったのは、独特な輪郭をもつ題字のせいだと思う。

電子回路を思わせるかたちは、ハイテクノロジーというよりも、あのころのコンピューターゲームのようにレトロでさえある。

しかも大きい漢字と小さい仮名との対比のせいか、その回路にはちゃんとエネルギーが流れているように見える。

泳ぎまわり、伸縮する細胞を、顕微鏡でのぞいているような気持ちになる。

「水に沈む羊」という本書のタイトルは、一見すると文字の印象にそぐわない。

「羊」とは何を示しているのだろうか。

まず頭に浮かんだのは、そんな疑問だった。

水に沈む羊のあをきまなざしよ散るな まだ、まだ水面じゃない

 この歌集を上梓した山田航という歌人は、私と同世代の80年代生まれ。

就職した会社を辞めて地元の札幌へ戻り、人生に行き詰まりを感じていたときに短歌と出会って創作をはじめたという。

表題作で描かれているのは、生まれ育った街や学校に対する強い嫌悪であり、ここではないどこかへ脱出したいと願いながら思いを吐きだせない息苦しさである。

屋上から臨む夕映え学校は青いばかりの底なしプール

 歌のなかに登場する「僕」は、ある学校の生徒のようだ。

「僕」の目に映る、学校の屋上やプール、トイレの便器。見知らぬ風景のはずなのに、なぜか既視感をおぼえる。「肝油ドロップ」や、「回し読みするROCKIN’ON JAPAN」や、「テトリス」といった固有名詞が巧妙に散りばめられ、たしかにある世代の空気が切りとられているように感じる。

短歌の限られた文字数によって描写される部分はごくわずかだ。

しかし、点と点のあいだを想像で補い、鮮やかな色を与えるように、頭のなかでストーリーが映しだされていく。

そこではクローンのように同じ制服を着た集団が生活しており、机のあいだを意味もなく動きまわる教師に羊たちは監視されている。

「僕」は苛めをうけていて、まわりから人間としての扱いをうけていない。

嘲りの共同体はアイロンのやうな熱さで「コイツ、シャベルゼ」

周遊する肺魚のやうにぬらぬらと試験監督きびすを返す

 本書のタイトルをよく見ると、文字のまわりに波紋のようなうすい影がひろがっていることに気づく。

しばらく目をこらしているうちに、やがてその影も、じつは文字の成れの果てだということがわかる。破壊され、それでもなお、浮上してきたもの。

「僕」は絶望している。

でもまだ戦意は失っていない。

ひとつ、ひとつ、爆弾をしかけるように、しずかで危険な歌が詠まれていく。

浮かんでも虹になれない水のなか世界はすでに分かたれてゐる

2017年11月1日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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