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第29回 鬼さんこちら『〆切本』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第29回 鬼さんこちら『〆切本』

第29回 鬼さんこちら

『〆切本』(左右社) 装丁:鈴木千佳子

 歯ぎしりをしている。

かみあわせの悪い上下の歯を食いしばるみたいに、文字に過度な力が入っている。

見ているこちらが悪いことをしたような気がして、怒られるのを覚悟で近寄ってみたら、おや意外。笑いだしたくなった。

真面目な反省の弁のようで、完全に開き直っていて、すこしも悪びれる様子がない。なんだか、すごくうそくさい。

紙の上で、きつねとたぬきの化かしあいが繰りひろげられている。

 有名作家たちが「〆切」について書いた文章をあつめたアンソロジーである。2016年に刊行され、最近、第2弾が出たほど人気の本だ。

夏目漱石、谷崎潤一郎、江戸川乱歩、川端康成、稲垣足穂、太宰治、埴谷雄高、吉田健一、野坂昭如、手塚治虫、星新一、谷川俊太郎、村上春樹、藤子不二雄A、岡崎京子、吉本ばなな、西加奈子――。

明治から現代まで、小説家、漫画家、詩人など、90名にものぼる書き手の、「〆切」にまつわるエッセイ、手紙や日記、対談が収められている。

 この変わった本がなぜ多くの共感を呼んでいるのかといえば、きっと誰もが「〆切」を経験したことがあるからだろう。

ギリギリまでためこんだ夏休みの宿題から、無理な納期やプレゼンの準備まで。

「そんな暇があったらやればいいのに」とはわかっていても、つい空想にふけったり、部屋の大掃除をはじめたり、ネットサーフィンを止められなかったり……。

ひょっとしたらまさにいま、〆切に追われながらこの文章を読んでいるひとだっているかもしれない。

 本書に登場する作家たちは、その豊かな文才を存分に発揮して、〆切さえも魅力的なテーマにしてしまう。

思わずふきだしてしまうほど機知に富んだ言い訳や謝罪、情けなくも破天荒なエピソードの数々。

それらの一節が、装丁に引用されている。

どうしても書けぬ。あやまりに文芸春秋社へ行く。

拝啓 〆切に遅れそうです

『〆切本』という単刀直入なタイトルと同じフォントで記された声は、じつはカバーを外すとあらわれる表紙やその裏にまで延々と続くしかけになっている。

今夜、やる。今夜こそやる。

ああ、いやだ、いやだ。小説なんか書くのはいやだ。

かんにんしてくれ給へどうしても書けないんだ

 言葉を引用しても、他の書体では同じ味わいを再現できないのがもどかしい。

一般的に、明朝体は縦書きにしたとき視線が上から下へ流れるような書体が読みやすいとされている。

でもこの「筑紫アンティーク明朝」という書体でかかれた言葉を読むと、なぜか視線が(というより心が)左右に揺れるような心地がする(だからというわけではないが、本書を刊行した「左右社」という出版社の名前に、この文字はおどろくほど似合っている)。

 それを「雑味」と表現すれば、悪いもののように聞こえるかもしれないけれど、料理の世界では「雑味」は大切なものとして扱われている。

純度と相反するアクセントがあるからこそ、深いコクが生まれ、味の余韻を感じられるのだ。

眠るべからざる時に、眠りをむさぼる。その快楽が近年の私には最も愛すべき友である。眠るべからざる時に限って、実に否応なく、切実のギリギリというような眠りがとれて、眠りの空虚なものがどこにも感じられないのである。天来の妙味という感じである。(坂口安吾)

 文字の揺らぎから伝わってくる哀愁には、どこか憎めないユーモアがある。

必死に雑念と闘いながら机に向かい、何度も何度も原稿を書き直し、いつの間にか舟をこいでいる……。

「文豪」のイメージからはほど遠い、人間くさい姿を連想させる。

 しかしそんな苦労や葛藤も、作品へのこだわりがあればこそ。

せっかく〆切を守っても、著者校正で未練がましく赤字を入れてしまう複雑な胸中についての告白では、ふと、「活字にする」という行為そのものの本質に書き手の意識が向けられる。

なぜなら、原稿用紙に書いた自分の字を読むときと、活字になった自分の文章を読むときとは、だいぶ印象がちがうからだ。素顔のときと化粧した顔・・・・・・というのともちがう。録音した自分の声を聞く・・・・・・のともちがう。ちょっと、どう説明していいか分らないが、原稿で気づかなかった欠点が、活字で発見できるのだ。(佐木隆三)

 じゅうぶんに推敲を重ねたと思っていても、手書きの文字が活字になり、書体が変わることで、視界が開け、天の啓示を得ることがある。

自分ひとりの力で書いているのではないような、孤独から救われるような感覚が生まれる。

でも、のん気に救われた気持ちになっているのは、本人だけだったりする。

結果として生まれるものは、編集者との攻防だけではない。

次にギリギリの線まで遅れると印刷所の人に迷惑をかけるということもある。僕は高校時代に新聞を作っていてしょっちゅう印刷所に出入りしていたからわかるのだけれど、印刷所のおじさんというのは誰かの原稿が遅れたりすると徹夜をして活字を拾わなければならない。気の毒である。印刷屋の植字工の家では奥さんがテーブルに夕食を並べてお父さんの帰りを待っているかもしれないのである。(村上春樹)

 「植字工」の姿をもう見なくなった現在でも、たったひとつ選ばれた書体で誰かが文字を組むという作業は変わらない。

一冊の本がつくられる工程にはたくさんの人々がいて、どんな大作家であろうと、その目的の前ではシステムの一部、たったひとつの部品に過ぎない。

「〆切」とは、自分をしばりつける不自由な鎖であると同時に、世界へつながる絆でもある。

その環のなかに、書き手も、読み手も、そしてもちろん忘れてはいけないけれど、文字をつくるひとも、みんなが属している。それぞれに、人生という〆切を抱えて。

そう思えば、憎き相手も、尊い、いとおしいものに感じられてくるのだ。

2018年1月22日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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