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『筆』斎藤茂吉

文字文学

『筆』斎藤茂吉

文字にまつわる小説・随筆などを青空文庫収録作品から一冊にまとめた『文字文学 Ⅲ』(type.center 編)掲載作品から斎藤茂吉の『筆』冒頭部分をご紹介いたします。


斎藤茂吉

 『書』のことになると、中華の人々は昔から偉い。シンの王右軍一人の存在だって、もはや沢山だといふ気持がするのに、ぞくぞくとその後に偉い人が出て居る。しかし私は書のことは分からずにしまつた。蘭亭序だつて、右軍がどの程度に偉いのか、つひに分からずにしまつた。そこで、私は書のことなどは論じられない。

私はある年、中国の北平に遊び、ルリシヤンといふ所を散歩した。そこには、賀蓮青だとか、戴月軒だとかいふ筆匠があつて、日本人の旅人がよく土産に筆を買つたものだ。いはゆる日本人向きの筆匠で、いくらか和臭を帯びたものだつたやうである。

しかるに私はある日そこの路地の古ぼけた店で、一本の小さい羊毫筆を手に入れた。それを商つて居る翁は、ケンリユウの世の物だと云つた。

ヨウロツパを旅した人は、スイスのチユリヒあたりの時計店に貼紙があり、日本語で、『日本の皆様には割引します』と書いたのが見あたつたものである。その時計に和臭があつたかどうか不明であるが、ルリシヤンの筆匠のは、幾分和臭があつたやうである。

私の買つた、古ぼけた、小さい羊毫は、その時和臭が無いやうな気がしたので、それを日本へ持つて帰つた。


つづきは『文字文学 Ⅲ』にて。BCCKSの機能を利用して、このままお読みいただくことができます。


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2018年9月6日

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