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第2回 呼んだのはあなた『昭和の子供だ君たちも』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第2回 呼んだのはあなた『昭和の子供だ君たちも』

第2回 呼んだのはあなた

『昭和の子供だ君たちも』坪内祐三(新潮社) 装丁:菊地信義

 生まれて初めての本ができたときのことは忘れない。

子供のころからずっと憧れていたあの書体で、自分の書いた言葉が印刷されている。それを見て初めて「本」になったのだと実感した。

「夢が叶いました」  

感動のあまり御礼を言うと、見本を届けてくれた担当編集者は、曖昧に笑ったような、ちょっと返事に困るような顔をした。

そりゃあそうだろう。

本が完成しても、読者に届かなければ(というか売れなければ)意味がない。まだ何も始まっていないのだもの。

だけど私にとっては特別だった。

出版社のぶあつい封筒を抱きしめて、本の重みを胸に感じながら駅に向かって歩く。地下鉄の階段から白いあかりがこぼれている。

よろこびと同時に別の不安もわいてきた。

「活字になる」ということに憧れたり、晴れがましさを覚えたりするのは、もう古い感覚なのではないだろうか。

インターネットが普及して、東京に一極集中していた出版が文字文化の中心ではなくなって、世界中どこにいても、誰でもメディアになれる時代に、「本」が一体どれほどの価値をもつだろう。その現実に目を向けるのがこわかったのだ。

 2014年に刊行された本書『昭和の子供だ君たちも』を初めて見たとき、あの日の自分を思い出した。

本や雑誌がいちばん幸福だった時代に子供でいられたこと。

パソコンが普及する以前の感受性で自己の大部分が形成されていること。

ずっと大いばりで書いていたくせに、ほんとうは自信がもてないんだろう。

「昭和だなあ、あたし」って、そう思ってるんだろ。

正面から見つめてくる文字に、心を見透かされているようだった。

『昭和の子供だ君たちも』は、昭和33(1958)年生まれの坪内祐三による「昭和世代論」である。

この本の装丁に惹かれるひとは、確かに「昭和の子供」であるにちがいない。

懐かしい昭和の空気を一瞬で伝えられる絵や写真など数えきれないほど転がっているだろうに、この表紙は文字だけで――正確に言えば、三つの書体のみで構成されている。

書体を名前で呼ぶのはまったく好きじゃないけれど、この場合は重要なことなのであえて書く。

書名である「昭和の子供だ君たちも」は本蘭明朝体。

帯の「世代は歴史。」という大きなキャッチが石井太明朝体(BM-OKL)。

そして『昭和ひとケタから、団塊、新人類、ゆとり世代まで。世代の網を精緻にたどり、「昭和の精神史」を描く長編評論。』というコピーが唯一のデジタルフォントで「リュウミンオールドがな」。

昭和を意識するならば、すべて写植の書体でもよさそうなものだけど、そうしなかったところがいい。特に「リュウミンオールドがな」で書かれた「ゆとり世代」が印象的だ。

後に「ゆとり世代」と呼ばれる昭和の子供たちが誕生したとき、そんな言葉はまだ世の中に存在していなかったのだから。

これは昭和を追体験するための感傷的な本ではない、という感じが伝わってくる。

むしろ時代を特定する絵や写真を一切排除したからこそ、80年代生まれの私のように、戦争や60年安保や東京オリンピックを把握していない世代にも訴えかける本になっているのだろう。

「本蘭明朝体」が生まれたのは1975年。

それまで写植書体の主力であった「石井明朝体」にはない、新しい力強さをもった本文用書体として開発された。

本書から引用すると「昭和が平成と変るのは一九八九年一月八日。その年に十九歳になる若者は一九七〇(昭和四十五)年生まれ」。

さらに「平均的な人間が自分のいる風景に目覚め、それを記憶化するのが六歳」と著者は定義づけているから、「本蘭明朝体」はまさに「昭和の子供」最後の世代を象徴する書体だといえる。

 もちろん、読者は活字の歴史を知ったうえで本を選ぶわけではない。

理由はわからないけれど、手にとったら何か大切なことを思い出しそうで、そこに自分と無関係でないものを見出すから、気になってしまうのではないだろうか。

そんなことを考えた自分なりの根拠というか、理由はもうひとつある。

ほんとうなら出会うはずのなかったひとたちと、本を通じて出会い、いただいたお手紙や感想の中で、「本蘭明朝体」について書いた一文に「共感しました」とおっしゃってくださる声がいちばん多かったのだ。

私はそれをすごくおもしろいことだと思った。

そして、映画や音楽と同じように、「文字」もまた世代の共通体験になりえると確信した。

 現在は技術革新が進み、新しい書体が開発されてから一年もあれば世の中に浸透するといわれる時代だ。

明治から昭和初期にかけて使われた活字の復刻も含め、新しい書体の数はどんどん増えている。選択肢が膨大にひろがって、みんなが同じようなものを読み、同じようなものを見ることはなくなった。

文字のある風景の記憶は、この十年で間違いなく曖昧になっている。 今、私たちの目に映る文字によって世代感覚がつくられるには、あまりにも目まぐるしく、記憶が分断され続けているのかもしれない。

そう思うのも、やはり私が昭和の子供だからだろうか。

『平成に精神史というものがあったとしても、私にはそれがまだ見えない。それを描くのは私より「あとに来た」人たちの仕事だ。』と著者は書く。

戦争や大きな事件だけで歴史を語ることはできないように、文字にも精神史がある。『昭和の子供だ君たちも』の装丁は、その部分に光があたっているからこそ潔く感じられるのだと思う。

書名の最後の一文字だけが帯にまたがっているところも好きだ。

記憶の底に沈む、時代の断層をつなぎとめる錨のように、つよい存在感で心に刺さってくる。

2015年5月15日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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