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第3回 ピンホールの過去『芸術と青春』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第3回 ピンホールの過去『芸術と青春』

第3回 ピンホールの過去

『芸術と青春』岡本太郎(光文社 知恵の森文庫)装丁:鈴木成一

  背のびをして空を見上げているようだ。

大きさはわからないけど、意外と近くにあるのかもしれない。モニュメントのようにそびえ立つ文字。

『芸術と青春』

なんとまあ、直截的なタイトルをつけたものだ。

文字の表面は、ところどころ傷ついて、ごつごつ、ざらざらしている。

真夏の日光にさらされた鉄骨コンクリートみたい。

  岡本太郎といえば、私にとって「芸術は爆発だ!」で有名な変わった人、という程度の認識しかなかった。

テレビのバラエティ番組やCMで見た、突拍子もなく叫んだり、暴れたりしているイメージが子供心に強烈すぎて、ちょっと敬遠していたところもあった。

この本を手にとったのは、装丁に惹かれたからだ。

「太陽の塔」しか知らない私のような人間でも、怖がることはない、と言われた気がした。

  どうしてだろう。

重量感のある題字をよく見ると、ポツンと虫に食われたような白い点々に気づく。

Amazonの書影ではきっとわからないほどの、ごく小さい穴。でも「オブジェ」として本をとらえたときには、不思議な存在感が生まれる。

前衛的で難解な現代美術を象徴するというより、どこか懐かしい、映像的な表現である。

この感じは確かに知っている――と思った。

ああ、そうだ。古い映画のフィルムだ。

薄暗い映画館のスクリーンに映し出される、粗い粒子のような光と影。

たとえば1970年の大阪万博に、日本中が熱狂した当時のテレビ放送にも、こんなノイズが入っていたのだろうか。

ピンホールを通り抜けた読者の目線は、自分の青春と重なりあった像を発見する。

そんな連想に、記憶をくすぐられる。

  岡本太郎による美術評論や啓蒙書は数多い。

1996年の没後、「知恵の森文庫」(光文社)で同じ装丁のシリーズ『今日の芸術―時代を創造するものは誰か―』『芸術と青春』『日本の伝統』の三部作が復刊された。 

いまやこの装丁以外に考えられないと思うけれど、本書の元になった河出書房新書(1956年刊行)の、本人の手になる鮮やかな装画とは対照的だ。

文庫化にあたって「文字だけ」に徹した大胆な選択は、力技というよりむしろ爽快感さえある。

著者名とタイトルのあいだに添えられたローマ字表記も印象的だ。

本の装丁ではあまり見かけない、長音記号が目に入るとき、私はなぜかこんな当たり前の事実を意識する。

……岡本太郎は、「日本人」なのだ。

ここで提示されている意味は、勿論、それ以上でも以下でもない。

しかし、その小さな記号によって、彼の過去をやっと知る糸口を与えられたように感じる。

〈フランスに行ったのは十八、九歳の頃であった。足は地につかず、どこに自分の生活のおもしを置いていいか、茫然とした。その上、優れた芸術家に己を育て上げなければならないという、選ばれた運命に対する義務感は私をからめて、全く絶望的であった。

芸術は手先の問題ではない。生活がその土台になければならないことは私にも解っていた。まず日本的小モラルから脱して、自由なパリの芸術家の雰囲気を身につけることが急務であるにちがいない。私はできるだけ自由に、放縦に、むしろ己を堕落させるように努めた。〉

『芸術と青春』は、パリの留学時代や、漫画家の父・岡本一平と、小説家、歌人としても知られる母・岡本かの子への追憶を綴った自伝的なエッセイである。

初めて読んだとき、こんなに淡々と、理知的な文章を書くひとなのか、と驚いた。

多感な青年期の十年間をフランスで過ごした岡本太郎は、フランス語を一から会得し、パリ大学に進学して美学や哲学、民俗学を学んだ。同族意識を嫌って日本人との交際を一切絶ち、華やかな交遊やロマンスに身を捧げ、文字どおりフランスの文化に溺れてゆく。それはすべて最先端の芸術を肌で理解するためだった。

中でも私が特に好きなのは「可愛い猫」というはなし。

〈私は相当なフェミニストで、その点、決して人におくれをとらないつもりである。

ところがまたロマンチストで、悲痛であったり、哀愁をたたえた表情の美に強く惹かれる。美しい女性の泣き顔は全く珠玉である。

怪しからぬ性質だが、といってもたいしたことではない。つい愛する女性を泣き出すまで責め、美しい眼から涙があふれるのを見ると、しびれるような歓びを味う。ところが同時に、激しい後悔に打ちのめされ、あわてて相手を慰めはじめるのである。つまり、少しこった愛撫の仕方であるにすぎないのだ。〉

「つまり」じゃないだろう! とつっこみたくなる。

他人から見れば身勝手で、子どもじみた欲望も、岡本太郎にとっては「芸術」なのか。

〈些細な事柄をひどく誇張して事件をでっち上げ、恰も嫉妬で激昂したかのように見せかけて、一流のたくんだ如くたくまざるが如き熱弁をふるい、無邪気な彼女を右から責め、左からつつき、退路を遮断し、ぎりぎり押しつめ、やがて彼女の花のような顔がゆがみはじめるのを腹の中で舌なめずりしながら待っていたのだった。人通りの多い所でそのようなスリルを味うことは、甚だ嬉しい嗜虐的情感であった。〉

  ……。

嗜虐的情感!

大仰な言葉のセンスに驚嘆すると同時に、どういうわけか愉快な気持ちがこみあげてきて、最後には思わず納得させられてしまった。

この不自由な感情を「青春」と呼ぶなら、おそらく誰にとっても無関係ではない。

いい気なものだと半ば呆れながら読み進めていたはずなのに、何だか胸が痛くなる。

それがたとえ「日本的小モラルから脱」するためのパフォーマンスだったとしても、あまりにも純粋で、針先を見つめるように己を知ろうとするひとだった。

悩み、愛することそのものが「芸術」だったのだろう。

だからこそ、「芸術家・岡本太郎」は、死ぬまで青春を生きられたのかもしれない。

2015年6月15日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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