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第7回 猫とカーテン 『オカルト』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第7回 猫とカーテン 『オカルト』

第7回 猫とカーテン

『オカルト』田口ランディ(メディアファクトリー)装丁:葛西薫

 11歳のとき、花屋で子猫をもらった。

もらった、といっても野良猫で、がりがりに痩せて、2、3日前から植木鉢のあいだで震えていたのを、うちに連れて帰ったのだった。

かなり衰弱していたのか、あるいは命を救われることがわかっていたのか、驚くほどおとなしく、膝の上でじっと抱かれていたのを覚えている。

もう生後半年は経っていたはずなのに、体の中が空洞であるかのようにやわらかくて軽かった。

 猫を飼いたいと言ったとき、父は最初、反対した。

これだけ弱っていたら、きっと長くは生きられないだろう。情がうつるほど、子どもたちが悲しい思いをすることになる。

でも必死に生きようとしている子猫の姿や、しおらしい眼差しに負けて、結局うちで飼うことになった。

当初の心配をよそに美しく成長し、すっかり太った家猫になってからも、幼いころ刻みつけられたサバイバルの記憶は、完全には消えなかったのかもしれない。

あまり人になつかない、可愛げのない猫だった。

異様に怖がりで、外が大嫌いで、母以外の人間に甘えるのが苦手。向こうからは滅多に近寄ってこない。

同じ部屋の中にいても、気がつくとカーテンの裏に隠れている。

すきまからのぞきこむと、曇りガラスの窓と、たっぷりした厚手のカーテンとのあいだで寝そべっている猫と目が合った。

狭いけれど妙に居心地がよさそうで、小さな部屋みたいだ。

日ざしの匂い。 

カーテンのひだがつくる影。

薄明かりの奥で、猫は眩しそうにこちらを見ていた。

黒い瞳が糸のように細くなった。

 あの場所だ。

田口ランディ『オカルト』の装丁には、あの、猫が好んでいた場所と同じ空気が流れている。

「ようようたなびく明け方」という風情がぴったりのグラデーション。

その微妙な色合いと同化するように漂う「オカルト」の文字は、「ト」の最後で、ふっと重さがなくなる。そこで線が終わるというより、蒸発するみたいだ。

文字を書く際の、無意識のルールから、わずかに逸れている。

たったそれだけで、どうしてこんなニュアンスが出せるのだろう。

メッセージを伝えるために書かれた記号ではなく、もとは別の何か――もつれた糸や髪の毛だったものが、たまたま意味をもってしまった、という感じ。

ちょっと不気味な感じも受けるけれど、暗くはない。

日本語を読めない外国人が見よう見まねで書いたような、どこか明るい、無邪気な文字だ。

 ホラーやオカルトが大の苦手である私にとって、田口ランディは、ベストセラーにもなった著書の禍々しい佇まい(死んでいるような裸の女、暗くて冷たい色の写真だった)から、それまで何となく避けて通っていた作家で、だから小説を読むよりも先に手にとったのがこの本だった。

ずいぶん小さい本だなあ、というのが第一印象。

なぜかとてもなつかしい感じがした。

 「幽霊というものには会ったことがない」

「私には霊感というものがまるでない」

と断言する作者が出会った、ふつうでは説明のつかない、奇妙な感覚や出来事について書かれているエッセイ集である。

お風呂場で髪を洗っているときに感じる人の気配。母の病床でみた白昼夢。数字のイメージがもつ不思議。

一度聞いたら忘れることのできない、強烈な人物もたくさん出てくる。電車に身を投げたはずなのに忽然と消えた女や、「尋常じゃない重さ」の鞄を持つ青年や、変わったものを次々と見つけてしまう「拾い物の名人」や。

「耳の中の奇妙な音で目が覚めた」

という書きだしではじまる章もある。

読んでいるうちに、カバーの文字がカサカサと動きだして、蜘蛛が吐いた糸のように見えてくる。夢か現実か。次第にわからなくなって混乱する。

 しかし超現実的な出来事でも現実の範疇である。幻想ではない。

異次元から突然あらわれたのではなく、すでに以前から目の前に存在していて、今まではそれらの「気配」に対して敏感でなかっただけだと作者は言う。

「気配」を感じることは、「日常の中の細部」という迷路に、寄り道をすることだと。

たとえば、自分の部屋の時計の音が普段はぜんぜん聞こえない……って経験が誰にでもあると思う。時計の音は、ずっとカチコチカチコチって鳴り続けているのに、人は無意識にその音を遮断している。だから、音はしてるはずなのに聞こえていない。

それと同じように、私は自分が生活していくなかでいろんなものを「遮断」していたことに気がついた。長いこと有能な会社員を目指して来た私にとって、身体感覚は邪魔だったらしい。社会に出て仕事をこなすためには、ロボットみたいに正確にルーチンワークをこなした方が都合がいいのだろう。

という文章に、はっとした。

まさに私も、文字に対して同じようなことを考えていたから。

人間の体ってのは実は、生きている瞬間瞬間にものすごくたくさんの情報を収集していて、それを切り捨てながら生活している。私はなぜか兄の死をきっかけにそのことに気がづいてしまった。

 たとえば文字に重さを、「味」や「音」を感じることだって、実はそれほど変わらないのかもしれない。

そこにあるものを当たり前のように読んでいるけど、ほんとうは、目に見えていないものも感じている。

それなのにその感覚を「遮断」して、私もいつの間にかロボットになろうとしていたのではないだろうか。

このひとが書いたものを、もっと読んでみたいと思った。

 数年前に猫が死んだ。

祖父が亡くなった翌日のことだった。

「おじいちゃんのあとを追いかけていったんだ」

そのことを知らせてきた父は、電話の向こうで、いつもより大きな声で言った。

私に二重のショックを与えたくないという気持ちから出た言葉であるにせよ、日ごろ魂がどうとかなんてまったく口にしたことがないくせに、父がそんな芝居がかった言い方をしたことが意外だった。

そういうのは、強い絆で結ばれた忠犬ハチ公みたいな話につかうんじゃないだろうか。

同居したことのない祖父と、猫とのあいだには、印象的なエピソードのひとつどころか、お互いの面識さえなかったはずだ。

「あとを追う」理由なんてどこにもない。

もし理由があるとすれば、それは祖父のためではなく、残されたひとの悲しみを納得させるためでしかない。

心の中では、そんなのおかしいと思ったけれど、でも私は黙っていた。

ほんとうに、そうであればいいと思ったから。

みんなこの世から消えてしまうわけじゃなくて、カーテンの裏みたいに、外でも内でもない、いつでも気配を感じられる場所で、祖父が猫を抱いてくれていたら、いや、おとなしく抱かれてはいないかもしれないけど、それでもずっといてくれたらと願う。

この本と出会ったのはそんなときだ。

文字の向こうに、漂う死を思った。

だから、こんなふうに、静かな空気が流れているのかもしれない。

2015年10月16日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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