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「亀倉雄策のデザイン 未来に向けて」生誕100年記念シンポジウム 前半

イベントレポート

「亀倉雄策のデザイン 未来に向けて」生誕100年記念シンポジウム 前半

1964年の東京オリンピックのシンボルマークや公式ポスターなどを制作し、戦後を代表するグラフィックデザイナーとして活躍した亀倉雄策氏の生誕100年を記念したシンポジウム「亀倉雄策のデザイン 未来に向けて」(主催=毎日新聞社)が9月8日、TOKYO FMホールで開催され、抽選で選ばれた300名が聴講した。

写真提供:毎日新聞社/撮影:三澤威紀

同シンポジウムでは、基調講演として永井一正氏(グラフィックデザイナー)が「1964年のデザイン」をテーマに、亀倉氏の代表作ともいえる1964年東京五輪ポスターやエンブレムの制作秘話を通じて、そのダイナミックな表現力について解説した。

「未来へつなぐ 亀倉雄策の精神」と題したセッションでは、野地秩嘉氏(ノンフィクション作家)、細谷巖氏(アートディレクター/グラフィックデザイナー)、青木史郎氏(日本デザイン振興会・常務理事)、佐藤卓氏(グラフィックデザイナー)、原研哉氏(グラフィックデザイナー)の5氏が、それぞれの立場から亀倉氏の世界観などを紹介。そして全体の総括を担当した浅葉克己氏(アートディレクター/日本グラフィックデザイナー協会・会長)は、亀倉氏との思い出などについて語った。今回、その講演内容をレポートとして紹介する。


グラフィックデザインの確立へ 永井一正氏(グラフィックデザイナー)

写真提供:毎日新聞社/撮影:三澤威紀

永井氏は、亀倉氏の功績として「戦前戦後を通じて、グラフィックデザインの代表作であると私は確信している」と評価する1964年の東京オリンピックのシンボルマークとポスターについて言及。永井氏によると、1959年に東京オリンピック開催が決定し、まず第一に必要なものはシンボルマーク(エンブレム)であるとのことから、河野鷹思氏、亀倉雄策氏、田中一光氏、杉浦康平氏、稲垣行一朗氏、そして永井氏の6人によるシンボルマークの指名コンペが行われた。しかし、亀倉氏は、コンペ出品の締切日をすっかり忘れていたという。組織委員会からの連絡で締切日を知った亀倉氏が慌てて作成したのが、あの有名なシンボルマークであった。

そんな状況で作成された亀倉氏のデザインを実際に見たとき、永井氏は「落選した悔しさを忘れ、これこそ東京オリンピックに相応しいシンボルマークだと心から思った」と、そのデザインを絶賛している。

シンボルマークについて「必要なものだけで構成されている」と説明する永井氏は、「亀倉先生は、大きな赤丸を『太陽』と言っているが、誰が見ても『日の丸』を連想する。つまり、二重の意味を持ち、世界をあまねく照らす太陽は、全世界の人々が参加するオリンピックを意味すると同時に、日本で開催することから日本らしさをも表現している」と、そのデザインに込められた亀倉氏の想いを語った。

また、現在の規程では、五輪マークは5色を使用しなければならないが、当時は、そんな規程が存在していなかったことから、亀倉氏のシンボルマークでは、「金」が使用されている。

「金を使うだけでなく、五輪のマークも少し太らせることで造形的に力強さを表現している。また、赤と金は日本のお祝い事の色彩でもあり、その意味も込められている」(永井氏)

写真提供:毎日新聞社/撮影:三澤威紀

そして話は、シンボルマークを使用した公式ポスター3部作へ。まず、永井氏は、陸上競技のスタートをデザインした作品について「亀倉先生の指示は、ポスターの背景は、黒バックで選手のスタートダッシュの一瞬を捉えるというもの。さらにコースに並んだ6人の選手の顔が見えるような配置になるように工夫されている」と、亀倉氏のこだわりについて説明する。

その後、バタフライの競泳選手や聖火ランナーをモチーフとした公式ポスターが発表され、陸上競技と合わせ、3部作として世に出ることとなる。そして、この3部作により1964年の東京オリンピック開催が日本をはじめ全世界に周知されることとなった。

「この3部作の登場により、一般の方のグラフィックデザインへの認識が深まったといえる。それまでグラフィックデザイナーは商業デザイナーと呼ばれていた。しかし、亀倉先生の東京オリンピックポスターにより、グラフィックデザインが確立し、全国民に対してもグラフィックデザイナーの存在を認知してもらえるようになった」(永井氏)


ピクトグラムへの取り組み 野地秩嘉氏(ノンフィクション作家)

写真提供:毎日新聞社/撮影:三澤威紀

野地氏は、亀倉氏の功績として「ピクトグラム」への取り組みを挙げる。「ピクトグラム」とは、非常口などの場所を図記号で表示するものであるが、世界の歴史の中で1964年の東京オリンピックを契機としてはじまったものだ。それまでオリンピックは、欧米を中心に開催されており、会場案内を含め、そのほとんどがアルファベットを使用したものだった。亀倉氏は、デザイナーを集め、東京オリンピック開催に向け、世界各国の人々を迎えるためにピクトグラムの制作に取りかかったという。

「多言語表記では、手間も時間もかかる。その解決策としてピクトグラムに取り組んだことは、シンボルマークやポスター以上に大きな功績であるといえる。何よりも凄いのは、その著作権を放棄したこと。誰もが自由に使用できることでピクトグラムを広めていくことを考えた亀倉氏は、その当時から未来を見据えていた」(野地氏)

次の功績として野地氏は「シンボルマーク」の活用について語る。野地氏によると、1964年の東京オリンピック以前にもシンボルマークは存在していた。しかし、組織的に公式ポスターやワッペンなどに使用されるようになったのは、東京オリンピックからだという。
野地氏は「亀倉氏が、日本でオリンピックを開催するのであれば、シンボルマークを作り、活用してアピールすべきとの考えから始まったもの」と説明する。このコンセプトは現在、オリンピックだけでなく、ワールドカップや万博にも反映されており、東京オリンピックを契機にシンボルマークの役割が大きく変化したことも亀倉氏の功績のひとつと語る。

そして最後の功績として東京オリンピックの陸上競技をモチーフとしたポスターについて野地氏は語る。「新しいこととは、今あることに何かを付け加えることではなく、逆に何かを削り取ったもの」と語る野地氏は、亀倉氏の制作したポスターの斬新さを次のように説明する。「それまでのオリンピックのポスターは、リトグラフやシルクスクリーンによる印刷で、さらにギリシャ神話に登場する女神のような芸術的なものであった。亀倉さんは、その芸術的なものを捨て、ジャーナル、つまり写真を選んだ。これはニュースとしてのポスターにすることで、オリンピックへの関心と期待を高める効果を持っている」


苦労の中から生まれた「奇蹟の1枚」  細谷巖氏(アートディレクター/グラフィックデザイナー)

写真提供:毎日新聞社/撮影:三澤威紀

「奇蹟の1枚」。細谷氏は、亀倉氏によって制作された6人の選手のスタートダッシュの瞬間をモチーフとした1964年東京オリンピック公式ポスターを、そう表現する。

「このポスターは、奇蹟の1枚の写真を使っている。スタートダッシュをしている黒人モデルが矢印のようになったタイミングでシャッターを切っている。また、その矢印の指す方向に6人の選手が向かっている。この、瞬間を捉えたことで、ポスターは力強さをもっている。また、夜間のストロボ撮影であったため、ポスターは黒バックの表現となっている。この黒がポスターに重厚感を与えている」(細谷氏)

撮影翌日、現像された120枚以上におよぶ写真のほどんどがブレていた。しかし、その中に1枚だけ、ブレもなく、また6人の選手が折り重なるようにスタートを切る写真があった。「その写真は、先頭の黒人選手をはじめ、すべての選手の顔が確認できる、まさに奇蹟の1枚であった」と語る細谷氏は「いいデザインやいい写真とは、苦労したものの中から生まれるものだと、改めて実感した」と、東京オリンピック公式ポスターにかける亀倉氏の強い想いに対し、改めて敬意を表した。


「亀倉雄策のデザイン 未来に向けて」生誕100年記念シンポジウム 後半は後日掲載いたします。

2015年10月26日

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