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第8回 かわいいはおいしい 『スプーンとフォーク』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第8回 かわいいはおいしい 『スプーンとフォーク』

第8回 かわいいはおいしい

『スプーンとフォーク』松長絵菜(女子栄養大学出版部)装丁:有山達也

 子どものころ読んだ外国の物語には、あまり聞いたことのない、さまざまな食べ物が登場した。 

『大きな森の小さな家』の「かえでみつ(後でメープルシロップのことだとわかった)」や、「ジェニィ・ケーキ(トウモロコシのやきパン)、「やかまし村」の子どもたちがクリスマスにつくる、香りのいいショウガ入りクッキー。

そういえば「長くつ下のピッピ」も料理上手な女の子だ。

頭の上で卵が割れても、粉まみれになっても気にしない。フライパンから見事に宙を舞う、食べきれないほどのパンケーキ!

味を想像しながら、自分と歳の変わらない子どもが、楽しそうに料理するシーンに胸をおどらせた。

それはどんな冒険よりも自由なことに思えた。

『スプーンとフォーク』が書店で平積みになっているのを見たとき、あまりにもはっきりと、「物語」を連想したために動揺した。

 カフェオレ色の表紙に、泡のように浮かんだ白い文字。

いかにもまじめな、角ばった背のある本で、昔なつかしい感じのするビニールのカバーがかかっている。

 かわいい。

 咄嗟に心のなかでそう呟いてしまい、さらに動揺した。

 かわいい、って何だ。

 いい歳をして、語彙が貧困なことよと自分にあきれてしまうけれど、今、確かに、「かわいい」と思ったよな。

その感情を刺激しているものの正体を探りあてようと、まじまじと本を見つめる。

 スプーンとフォーク、

 スプーンとフォーク、

        スプーンとフォーク…。

 口にしてみても、特別な言葉だとは思えない。

どんなスプーンとフォークだろう。

それはたぶん、高級レストランで出されるような、重い銀製のスプーンや、武器みたいに鋭利なフォークではない。

軽くて弱いプラスチック製でもない。

ムーミン谷の住人たちが楽しみにしている、冬のごちそうのスープに似合うような、ぽってりと丸みがあって、口あたりのやさしい木の匙?

 ちょっととぼけたような横長の字面と、風通しのいい並び方が、どことなく絵本のようでもある。

魔法で空をとんだり、カチャカチャ愉快な音を立てておどりだしそうな気配。

 とはいっても本書は、子ども向けの絵本でもなければ、食べ物をテーマにしたエッセイや小説でもない。

読者に料理のレシピを提供するための、いわゆる「料理本」である。

料理本といえば、そこにどんな料理が紹介されているのか、自分の嗜好と一致するかどうか、ひとめで伝わる写真が表紙をかざるのが一般的で、本書のように文字だけの装丁というのはめずらしい。

しかもタイトルが『スプーンとフォーク』!

もはや食べ物ですらない。

 しかし、私はこの本をはじめて見たとき、料理の本だということが直感的にわかったし、その中には、作ってみたいお料理がたくさんのっているはずだ、と思った。

なぜなら、「かわいい」んだもの。

この装丁は、「かわいい」が何もリボンをかけることだけじゃない、ということの証明になっていると思う。

 シンプルで控えめだけど、それは見せかけで、ほんとうは強い意志に満ちている。

文字の力を信じている本だとすぐにわかる。

「信じている」というのはつまり、どんな文字が、見るひとの記憶を呼び覚ますのかを想像できるということだ。

その想像力をもつひとは、きっと、自分の記憶も大切に保存しているひとだと私は思う。

 いつか読んだ本に、こんな言葉があった。

大人になってからの時間は、子供のころ好きだったものを取り戻すためにある、と。

だけどたいていの大人は、いつの間にか、それが何だったのか思いだせなくなる。

『スプーンとフォーク』は、かつて子どもだった大人たちのための本だ。

私が表紙の文字から思い出したのは、『小さい魔女』の焼きりんごのこと。

焼きりんごが食べたいなと思ったら、「小さい魔女」は、指をパチンと鳴らすだけ。

たちまちコロコロとりんごがひとりでにころがってきて、暖炉の火のなかに飛びこむ。なんて便利なのだろう!

うらやましくて、どうしても食べてみたくて、小学生のころ、家で焼きりんごをつくったことがある。

うちのオーブンは熱が弱いから、りんごを輪切りにして鍋で煮てはどうか、と大胆な提案をしてくる母に、いやこれは焼きりんごなのだ、だからオーブンだ、絶対に丸ごとでなくてはだめなのだ、と頑なに主張した(結局、中まで火が通らずに失敗してしまったけれど)。

あのときの、固くて甘酸っぱいりんごの味。

とけたバターとシナモンの香ばしい匂い……。

 本を開いて、まず目に飛びこんでくるのは、寒い冬の空気が感じられる食卓と、コトコト煮た「かぼちゃのスープ」である。

こざっぱりしたクロスに、北欧風のスープ皿のコーディネートがひきたつ。

ああ、やっぱり料理の本だ、ムーミン谷の世界だ、と思いながらページをめくり、そして最後には、見るからにとろけそうな、まさに子どものころ思い描いた通りの「焼きりんご」を発見する。

でも私はその偶然に驚かない。すでに表紙で一度「見て」いたから。

まったくもう、まんまと術中にはまるというか、まんまと本を手に取らされ、「ページをめくらされた」ようで、自分でも若干照れくさいほどだ。

だけど、その気持ちさえも見透かしたように、この本には、ちゃんと大人のための言い訳も用意されている。それがまた優しいところ。

「ひじきごはん」とか、「ふきの煮つけ」とか、意外なメニューの作り方も丁寧に説明されていて、しかも焼きりんごと並んでまったく違和感がなく、全部かわいいからすごい。このかわいさは読まないとわからない。

 ムーミン谷で暮らす夢は叶わなかったし、やかまし村のクリスマスみたいに大きなツリーはかざれないし、ピッピのようにひとりで強く、たくましくも生きていない。

でも、自分が食べたいものをつくって、食べることはできるようになった。

たったそれだけのことが幸せで、その自由に気づいたのがうれしくて、だから思わずこう言ってしまうのだな。

「かわいい」と、万感の思いをこめて。そうだ、かわいいはおいしいのだ。

その答えに満足しながら、今年の冬は、久しぶりに焼きりんごをつくってみようと思うのだった。

2015年11月18日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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