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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第10回 仮面に思う『顔』

第10回 仮面に思う

『顔』(筑摩書房)南伸坊 装丁:著者自装

 装丁は本の顔。

とは、よく言われることだけれど、私にとっては仮面である。

子どものころから、カバーは外して読むほうが好きだった。

カバーが不要だと唱えているわけではない。

いかにも「グラフィックデザインしている」リッパな本の前ではあまり大きな声で言えないが、カバーを外すという行為自体がすごく好きなのである。

華やかな仮面の下から真実の顔があらわれた途端、本と二人きりになったような、自分だけの密やかな所有物に変わるような、あの感じ。

むしろ、仮面をはぎとりたいという衝動を与えてくれるカバーこそが「いい装丁」だといえるのではないか。

 そんなことを考えさせられた一冊が、その名も『顔』である。

数々の歴史上の偉人や有名人になりきり、「似ているわけがないのに何でか似てる」という現象を実践で検証してこられた第一人者である著者が論じた名著で、装丁はご本人の手によるものだ。

南さんは装丁家として多くの本を手がけていて、文字づかいのセンスの良さは誰もが認めるところだけれど、同時にイラストレーターでもあるから、文字だけの装丁はそれほど多くない。

この本にしても、実はよく見ると遊び心にあふれた隠し絵が存在しているのだが、それにしても文字のインパクトは絶大である。

 一際目立つタイトルの書体は、南さんの装丁では定番といってもいい「ゴシックMB101」。

出版された当時は、同じ太ゴシック体でいえば「ゴナ」のほうが主流だったが、「ゴナ」ではきっとこの感じは出ないだろう。

同じ意味の言葉なのに。

同じ「顔」なのに。

その違いは、なぜ、どこからくるのだろうか。

『顔』という題字のすぐ隣には、小さい文字でこんなふうに書いてある。

顔面的思考とは何だろう、そして顔面学とは? ナゾだらけの顔面をあえて理屈の俎上にして 顔面の人・南伸坊が世に問う顔面学・事始め

 いわゆるキャッチコピーというか、帯文というか、普通ならばそういう役割になるはずの説明文を、なぜカバーに入れたのだろう?

勝手な想像だが、文字が並んでいる様子から「顔」を連想させるために、この文量がどうしても必要なパーツだったのではないだろうか。

特に、「事」と「始め」のあいだに「顔」の字をさりげなく割りこませた部分。

たったそれだけで、全体の印象が「面構え」に変化し、中央に寄った作者名や出版社名が「目鼻立ち」に見えてくる。

単純に配置しているように見えるけど、そうじゃない。これはかなりとんでもないことだ。

 ただごとならぬ予感とともにページを開くと、シンプルな装丁とはうってかわって、複雑怪奇なイラストやモノクロ写真が目に飛びこんでくる。

見覚えがあるような、ないような、顔、顔、顔。

時代が違っても、血の繋がりがなくても、どこか似通っている顔ばかりだ。

それは時に人間とも限らない。

たとえば犬や魚、あるいは自動車の造形から人の顔を思い浮かべることもある。

どこからが似ていて、どこまでが似てないのか。

私たちがその現象を認知する時、心の中ではいったい何が起きているのか。

双子だと知っていて、ソックリだとしてもおもしろくない。別々に認識していた人々が、あるアングルから見ると、ほとんど区別できないほど同じである、ということに気づいておもしろい。

「かけはなれたものに共通性を見出す時にその不思議がたちあらわれる」と書く著者に一貫しているのは、「似てるというのはおかしい」と信じる真理の飽くなき探求である。

その考察は、つまり「おもしろい」とはどういうことか? という笑いの哲学に展開してゆく。

もっとも琴線にふれたのは、「笑いというものがしばしばそうであるように、おもしろさはズレに気づき、ワクに気づく時に発現している」という言葉。

私たちがあるモノを見て、そこに顔があると思うのは、目や鼻や眉などのパーツによって構成される「ワク」をすでに知っているからだ。

 そして、その「ワク」はきっと文字にも当てはまる。

顔も、文字も、見る人次第。

ひらがなを形成する「点」や「線」、さらには「へん」や「つくり」といった漢字の共通項を、個人的な経験によって蓄積し、無自覚に認識しているからこそ、それが文字だとわかるのだ。

「ゴシックMB101」と「ゴナ」の違いを「ズレ」として感じとるとき、私たちは目に見えない「ワク」に規定されていることになる。どちらか一方では成立しない。

文字と自分との間にも「顔面的思考」が確かに存在している。

それって、ほんとうに「おもしろい」。

さらにおもしろいのは、今まで何も考えずに眺めていたのに、この本を読んだ後では、文字の一つひとつが同じ種族の中の「似ている顔」に見えてくることだ。

構成すると同時に分解する力、とでもいえばよいのだろうか。

天才的な深い洞察力を持つ著者は、あらゆる造形にその優れた眼差しを向け、文字だけで小宇宙をつくりだす。たったひとつの仮面の下には、無数の顔が幾層にも蠢めいている。

その構造の奥深さに感動しながら、はたと気づく。仮面を外すことは、自分が本の内側に包まれたいという願望でもあるのだ、と。

2016年1月21日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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