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鼎談『漱石本制作の舞台裏』〜「祖父江慎+コズフィッシュ展:ブックデザイ」関連イベント〜

イベントレポート

鼎談『漱石本制作の舞台裏』〜「祖父江慎+コズフィッシュ展:ブックデザイ」関連イベント〜

鼎談『漱石本制作の舞台裏』

漱石「心」に込めた想いを語る

「祖父江慎+コズフィッシュ展:ブックデザイ」関連トークイベント第2弾「鼎談『漱石本制作の舞台裏』」が3月10日、日比谷コンベンションホール・大ホールにおいて開催され、200名が聴講した。

(撮影:川並京介)

今回は、夏目漱石の「心」刊行100年を記念して2014年に岩波書店から発行された新装版「心」のブックデザインを手がけた祖父江慎氏と、その制作スタッフである岩波書店の単行本編集部・渡部朝香氏、製作部・前田耕作氏が登壇し、同書制作時のエピソードなどを語った。

新装版「心」は、渡部氏の強い意向を受けて祖父江氏がブックデザインを担当したもの。鼎談では、夏目漱石の自筆原稿を細部にわたり忠実に再現することに意欲を燃やす祖父江氏の想いと、改行や句読点など、現在の文字組版ではありえない体裁を現実化するために努力した前田氏の苦労話などが紹介された。

前代未聞の修正禁止プラン - 間違いも忠実に再現

左から岩波書店 製作部・前田耕作氏、単行本編集部・渡部朝香氏、祖父江慎氏(撮影:川並京介)

この3人がチームとして動き出したきっかけは、「漱石の本をつくりたかった以上に、祖父江さんの本をつくりたかった」という渡部氏の強い想いから始まる。以前、漱石に関する祖父江氏の講演を聴講してから熱烈な祖父江ファンとなった渡部氏は、その想いを手紙に託した。

その手紙を受け取った漱石大好きっ子の祖父江氏は、渡部氏の依頼を大喜びで快諾。しかし、渡部氏の分厚い手紙を読み終えたのは、かなり後のことであったらしい…。そして、その2人の想いを実現するための製作担当者となったのが前田氏である。

「技術を知らない私と、技術を熟知して、ストライクゾーンギリギリの球を投げてくる祖父江さん、そして、その間に立って苦労する前田、そんなチームでスタートしました」(渡部氏)

新装版「心」の制作にあたり、岩波書店で造本プランの発表が行われた。そこで祖父江氏は「まず、通らないだろう」というプランを提案した。それは、漱石が明らかに書き間違えたであろう表記も正さない、修正の手を加えないという「原稿そのまま」というプランだ。

漱石は、文字組にも関心があったようだ。たとえば「坊っちゃん」の自筆原稿では、現代の文字組版ルールでは、絶対にありえないような指定が入っている。当然、これまで発行されてきた「坊っちゃん」は、各発行元により、現代組版のルールに基づいた修正がなされている。原稿を整え、間違いを修正することは、編集者にとって当たり前の仕事なのだ。

(撮影:川並京介)

実は岩波書店では、漱石の「心」の自筆原稿を保管していた。「心」は新聞に連載された小説なのだが、初出時に正しくないと思われる表記についてはすでに修正されている。しかし、その表記が意図的なものであったのかどうかは、わからない。祖父江氏のプランは、修正することをやめて、そのまま自筆原稿を忠実に再現するというプランだ。三点リーダーの点の数も漱石が打った数どおりにしている。

まず通らないと思って提出したそのアイデアは、意外なほどあっさりと承認されることとなる。前田氏も「確かにあり得ないプランだが、その分、他の出版社ではマネのできないものになると感じた」と当時を振り返る。そして前田氏は、制作にあたり自社の校正部門担当者に対し「間違っていても、すべて原稿通りにしてくれ」という指示を出した。

書道的な文字組への挑戦

(撮影:川並京介)

祖父江氏が新装版「心」制作にあたりテーマとしていたのは、書道的な文字組への挑戦だという。

「書道の世界では、文字はその勢いや水の潤いなど、その時の書き手の気持ちや道具によって文字の形が変わる。そう考えると文字組もその手法に沿ってもいいんじゃないか。漱石の文章は、気分ののっている時だと文字サイズが小さくなったり、脱字が増えたりする。何度も書き直して書いているところは、つい句読点が多くなったりする。そんな漱石の息づかいと共に読んでみるのも楽しいんですよ。組なのに、ちょっと書道的でしょ?」

例として「ルビ(振り仮名)」に関するエピソードも語られた。「ルビももちろん、自筆原稿で漱石が振った部分だけ記載しています。僕はルビって読みが難しい漢字につけるものだとばかり思っていたんです。だけど、漱石のルビはそうじゃない。読みにくい漢字はほったらかしで、読みが簡単なやわらかな言葉にばかりふっている。ちょっと楽譜記号っぽいんです」(祖父江氏)

原稿用紙の文字数を意識し、漱石の執筆リズムも逃さない。単に小説として楽しむのではなく、執筆当時の漱石の感覚を文字組で表現する手法は、まさに祖父江流と言える。

ちなみに漱石の自筆原稿では、「。」は全角、つまり原稿用紙の1マスで記されているが、「、」はマスとマスの間に振られている。また、カギ括弧も同様にマスとマスの間に書かれている。祖父江氏の新装版「心」では、「。」は全角、そして「、」とカギ括弧は半角を採用している。

祖父江氏は手作業のデザイナー

初出の「心」は新聞連載で、1日に1話だったことを意識して、各話を4ページぴったりに収め、新聞読みでのテンポも再現している。ここで問題となるのが、1話分の原稿の長さである。当然、すべてが4ページで収まるわけではない。そのまま組版すると回によっては、1行または数行はみ出し、5ページになってしまうところも出てくる。そこで祖父江氏は、はみ出した行をページの「のど」側にこっそり増やすことで、1話分をぴったり4ページに収める、という離れ技を披露している。これも現代組版のルールでは、考えられない手法だ。

「1行多いときは、4ページ目の『のど』に、2行多いときは、2ページ目と4ページ目の『のど』にはみ出させている」。この手法を「技」と表現する祖父江氏に対し、前田氏は「普通はやってはいけないこと」と苦笑する。

(撮影:川並京介)

祖父江氏の様々なこだわりがあったものの、本文自体の制作は、なんとか順調に進んでいた。しかし…

「目指していたのは、2014年9月の発行。『心』刊行100周年の記念日だった。結果として、この100歳のお誕生日には、間にあわなかった。その要因は、中身ではなく、外側の産みの苦しみだった」(渡部氏)

実は、最初に書籍として刊行された「心」は漱石自身が装幀している。岩波書店では、その当時に漱石が「心」で使用した直筆の表紙原画を保管しており、祖父江氏は、その原画をスキャンし、独特の色再現で現在によみがえらせている。さらに函のデザインもどんどん変わっていった。何案も作っては捨てを繰り返して、落ち着いたのが今のデザインだ。

正式に新装版「心」が発刊されたのは、2014年11月。しかし渡部氏は「祖父江さんというと『独特の感性』といったことを思い描く人が多いと思うが、研究者のように緻密に資料にあたり、非常に論理的。そして、 実は手仕事のデザイナーということが、一緒に仕事をしてわかった」と、祖父江氏のブックデザインに対する妥協なき姿勢を評している。

次の作品は「吾輩ハ猫デアル」

祖父江氏は、「心」については「表記のあやうさ」をテーマとして文字組を書道的にとらえることをテーマとしてきた。 いっぽう現在制作中の「吾輩ハ猫デアル」では「しゃべり言葉」に軸足を置き、作業を進めていると説明する。

「当時、多くの作家が文語体を主流とする中、漱石はあえて口語文、つまりしゃべり言葉のままでの作品を創り出している。それが猫(吾輩ハ猫デアル)である」

それに対し、「また、面倒くさいことになった」と苦笑する前田氏。「吾輩ハ猫デアル」は、祖父江氏の説明したように、とにかく会話のやり取りが多い。さらに漱石は、誰の台詞かを明確に記載していない。従来の語り口調の定番といえば、台詞部分のカギ括弧の前に誰の台詞なのかを記すケースが多かったが、漱石は誰のセリフなのかをいちいち表記しなくともわかるように書いている。祖父江氏は、ここに着目したのだ。

(撮影:川並京介)

「この作品には、多くの人物が出てくるんだけど、いちいち誰のセリフなのかの説明はしていないんです。落語なら声の出し方や振る舞いで誰のセリフなのか、わかるように語られる。もしも、書体数の増えた今の時代に漱石や「猫」のブックデザインをした橋口五葉がいたとしたら、どんな本にしたんだろう? と考えて、音の表現を軸に文字組みをしようと思ってます。それで、渡部さんにその音声の整理をお願いしているところ」

渡部氏は、現在、登場人物全員のセリフを区別する作業を進めているという。「おそらく日本一複雑な組版をやろうとしている」と説明する前田氏、そして「近代出版史上、最もやっかいな文字組版になると思う」と渡部氏が語る祖父江氏の「吾輩ハ猫デアル」は、絶賛制作中とのこと。そのため、詳細は明らかにされていないが、おそらく書体や文字組を変えることで登場人物を特定できるような仕組みを検討しているのかもしれない。

「アプリケーションが耐えられるかどうかが一番の心配」と不敵な笑みを浮かべる祖父江氏は、「セリフや文字組など、今だからこそ表現できる文字組にスポットを当てて制作していくつもりである」と語り、鼎談を締めくくった。


2016年4月12日

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人物プロフィール

祖父江 慎

グラフィックデザイナー。コズフィッシュ代表。1959年愛知県生まれ。多摩美術大学に入学するが、杉浦康平に憧れ、在学中の1981年から工作舎でアルバイトを始め、大学中退。在学中は漫画研究会に所属、先輩にしりあがり寿、喜国雅彦がいた。1987年工作舎退社。秋元康が設立した株式会社フォーセールでアートディレクターを務め、1988年独立。1990年コズフィッシュ設立。人文書、小説、漫画などの書籍の装丁やデザインを幅広く手がける。吉田戦車の漫画本をはじめとして、意図的な乱丁や斜めの断裁など、装丁の常識を覆すデザインで注目を集める。近年、「スヌーピー展」「エヴァンゲリオン展」「ゲゲゲ展」「ゴーゴーミッフィー展」など、 展覧会のグラフィック、アートディレクションを手がけることも多く、展覧会グッズでは独特の感性を爆発させたユニークな商品を開発している。

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