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第14回 ロバの耳は上向いて 『善き書店員』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第14回 ロバの耳は上向いて 『善き書店員』

第14回 ロバの耳は上向いて

『善き書店員』(ミシマ社)木村俊介 装丁:寄藤文平

 最初にこの本を見たとき、頭のなかにロバがあらわれた。

ロバ? なぜにロバ?

自分でもびっくりした。

日本人にとってロバはなじみの深い家畜ではない。私はロバの鳴き声さえ聞いたことがない。

それなのに昔からよく知っているような気がするのは、童謡や物語では身近な存在だからだろう。

「のろま」とか「頑固者」のような、あまり良くない意味でつかわれることもあるけれど、神沢利子さんの詩「あらどこだ」は「ロバの耳は上向いて」という素敵な書き出しで始まるし、ヒメーネスの『プラテーロとわたし』には、小さくて、賢くて、ふんわりとした綿毛と黒い瞳をもった美しいロバが登場する。

粗食で、暑さ寒さ、過酷な労働にも堪え、人の役に立ってきた賢明な動物。

そのロバを連想した理由は書体に尽きると思う。

 文字の多い装丁に見えるが、つかわれている書体はたったひとつだけ。タイトルとの組み合わせの妙がすばらしい。

他の場所で同じ書体を見かけても、ロバみたいな文字だなんて思わない。よくぞこの書体を選んでくれたものだ。

特別な何かがあるわけじゃないし、もったりしていて、駆け抜ける駿馬という感じには見えない。

リネンのハンカチの皺をアイロンで伸ばすみたいに。

壺に入った香油を指にとって、丹念に塗りこむみたいに。

珈琲をフィルターで濾すように、じっくり、我慢強くかかれた文字。

うん。やっぱりロバだなあ。

 宗教や道徳の問題として説かれることの多い「善」という字によって、イメージは聖書の世界にまでふくらんでゆく。

聖書には人の言葉を話すロバの話がある。

普段は無口だと思われている者の、内なる声。

ところが、この本における語り手は、慈悲深い王様でも、神の使者でもない。

意外な「普通の人」たち――6人の「書店員」である。

 5、6年前、京都にひとり旅をした。

以前から憧れていた、ある本屋に行くためだった。

そのとき私は、まだ誰にも言わなかったが本をつくりたいと思っていて、何を書きたいかはすでに決まっていたけど、どんなふうに書けばいいのかわからなくて、ひとり悶々としていた。

世間ではちょうどリトルプレスが流行の兆しを見せていたころで、その店ではセンスのいい本や珍しい雑誌を扱っていると知って、ぜひ見てみたいと思ったのだ。

 新幹線に乗り、京都駅から電車を乗り継いで、静かな商店街をしばらく歩いたその先に、目指した場所はあった。

思ったよりも広い店だった。いい香りがたちこめるパン屋に入ったときのような、高揚感を覚えた。初めてなのに、不思議な懐かしさのある店内。

ほとんど半日近く、夢中で棚を眺めていた。小説や漫画、写真集、料理の本。思い出に残っている本、好きな本の隣に、気になる本が何冊もあった。いつか読もうと思いながら、そのまま忘れていた本も思い出した。

そして、その棚に自分の本が並んでいるところを想像した。

今になって思い返すと恥ずかしいけれど、そのときは真剣で、本を眺めているだけで励まされたような気持ちになった。

世の中はこんなにもたくさんの、豊かな本であふれているのだから、世界にひとつだけの書体見本帳があってもいいじゃないか。そう考えたらワクワクした。

「文字の食卓」というタイトルが、頭に浮かんだ。

 当時その本屋の店長だった方が、この本に登場する書店員の一人だ。

でも、あのとき、店の中に彼がいたのかどうかはわからない。

書店員という仕事は「本を買って読む人にとっては、名前のない、顔も認識されない存在」である。

とはいっても、ここに取り上げられているのは、本好きにはよく知られている有名店や、活躍が注目される方々ではあるけれど、書店経営のノウハウや棚のつくり方を語るような本ではない。

「本が売れなくなった」と言われるようになって久しく、Amazonのようなネットショッピングの影響や深刻な読書離れによって「街の本屋」が消えゆく中、「リアル書店」の実情と、そこで働く人々の思いに迫ったインタビュー集である。

書店の現場は肉体労働が多い。勤務時間は不規則で、精神的な負担も大きい仕事だ。

大型店舗に勤めていれば安心という時代でもなく、整理解雇を余儀なくされた方もいる。

個人的には、本ってなによりも価値のあるもので、これがない世界は考えられないと思ってきたんだけど、「……あれ、じつはそうではないのかもしれないな」と、提供している商品を疑問に思わなければならない追いつめられかたはしているんです。(p.169)

「ほんとうに好きじゃなければやめたほうがいいよといわざるをえない世界」を選んだ、普段は声をあげることのないひとたちが口にする切実な迷いや不安。

この本を読んでいて胸を打たれるのは、そこに思いもよらぬ業界の実態が書かれているからではない。

彼らの語る風景や、人や、本との関わりかた。それでも「働いてよかった」と思える瞬間の中に、自分自身もよく知っている痛みや、かなしみ、よろこびを発見するからだ。

ずっと前から、大切なことを彼らと共有していたように感じられるからだ。

まだ市場に評価をされていない新刊であっても「あ、なにかこの本とは目があうな」「これ、たぶんいい本だ」とわかる時も出てきたんです。これはものすごく丁寧に作られている本だから長生きしそうだな、と。ちょこっとずつわかっていったのは、その本に対して自分が好きとか嫌いとか、自分の関心があるかどうかとかいう次元ではないところで、本として魅力的なものってあるなぁということでした。(p.140)

ぼくはポップで本を紹介するのがあまり好きではないのですが、それは本ってデザイナーのかたがたがそれぞれ作った美しさがあって、その美しさを壊したくないからなんですね。そのデザインされた表紙の文字組みだけでも、充分に情報量がある。(p.109)

 これらの声から伝わってくるのは、日々、本と向き合っている書店員の、厳しくて温かい「眼」だ。

文字にのせられた言葉が人に届くとき、そこにはちゃんと「見えざる力」が働いていることを彼らは知っている。

いや、ほんとうは誰にでも「見えて」いるのだ。

夢を描いたり、迷ったり、決断したり。人が書店の本棚の前に立つ理由は様々だけれど、そのとき必要な本がそこに在ることを気づかせてくれる。

さりげない気配の中に、タイトルの魅力を感じさせてくれる。

そんなとき、文字は黙々と、自分に与えられた仕事をまっとうしているのだろう。

2016年5月18日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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