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第17回 憧れの音 『言わなければよかったのに日記』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第17回 憧れの音 『言わなければよかったのに日記』

第17回 憧れの音

『言わなければよかったのに日記』(中公文庫)深沢七郎 装丁: 佐野繁次郎

『楢山節考』を読んだことのある人ならば、その衝撃が心の奥底に残っているだろう。

姥捨て山の伝承をモチーフにしたという物語に描かれた死は、それまで私が死に対して抱いていたイメージ――身近で経験した何人かの死や、運命の恋を裂く悲劇的な死、永遠への憧れに似た甘美な死――のどれともまったく違っていた。人間くさく、なまなましく、燃え尽きる炎よりもっと激しいものだった。

原作を読んだ後に観た今村昌平監督の映画と記憶が合わさっているところもあるのだけれど、歯の欠けた老婆や、カラスの群がる死体や、閉塞的なムラ社会のリアリティにただ圧倒されて、こんな怖い小説を書いた作家は何者だろうと思ったのを覚えている。

 だから深沢七郎のエッセイ集『言わなければよかったのに日記』を初めて読んだときには興奮した。

むちゃくちゃおもしろかったからだ。

いや、意外ではなかった。本当のことをいうと、読む前に装丁を見たときから「むちゃくちゃおもしろそう」と思ったのだ。その直感は正しかった。

まあ、なんと魅力的なタイトルだろう。

群衆の目の前に打ちあがった花火のような文字。

言わなければよかったと思うようなことを、わざわざ活字にしておいて、あとは破れかぶれ、ずいぶん開き直った面構えにも見える。

 私はこの本を読んでいるあいだじゅう、ずっと驚かされっぱなしだった。そして我慢できずに何度も笑ってしまった。

何しろ、一人称が「ボク」なのだ。『楢山節考』のイメージとあまりに違うので、はじめは面食らうけれど、でも確かに作者は深沢七郎、同一人物である。

文壇デビューして間もない新人作家である「ボク」が、予期せずベストセラーとなった小説のせいでご近所から怖い人と思われていることに腹を立てたり、くよくよ悩んだり、あの正宗白鳥に「酒の菊正宗とは関係あるのでしょうか」と訊ねてしまう自分の無知や失言を恥じる日々。

しかし悪びれる様子は微塵もない。

武田泰淳や井伏鱒二、伊藤整などそうそうたる作家たちと交流し、自分を棚に上げて、作家の生態を観察する姿は子どものように無邪気そのものだ。

作家たちの自宅や別荘を気軽に訪れ、酒を酌み交わしながら、「私は将来、この先生の小説を読んでみたいと思う」などと書いてけろりとしている。

 私はたちまち深沢七郎のファンになってしまった。

おそらく読めば誰もが贔屓を公言したくなるほどに、この作品の「ボク」は憎めない人たらしだ。

この人の筆にかかると、むかし学校で習った歴史上の人物みたいな重鎮作家の面々まで、みんな優しくて、チャーミングに思えてくるから不思議である。

きっと変わった才能と人間性がそうさせていたのだろうな。人の懐に入り込む名人だったのだろうな。一緒にいて飽きなかったのだろうなと思わせる感じが、力のぬけた会話から伝わってくる。

何よりも魅力だと思うのは、自然体から生まれる文章の純度の高さだ。

「ボクは絵が下手なので、自分の好きな情景を書きたいだけなのだ」と、作者は言う。

ボクはロカビリーも讃美するけど、それと同じように、義太夫や長唄も大好きだ。とにかく、なんでもいい、自分の好きなものは映画女優ブリジット・バルドオでもシナ料理のギョウザでもボクは神様だと思っている。

「自分の好きなものは神様」だなんて、金言である。

そんなふうに考えたことはなかった。どうしてこんなに飄々と、まっすぐで強い、新しいことを、さりげなく書いてしまえるのだろう。

この本と出会って以来、十年近く幾度も読み返しているけれど、そのたびに新鮮で、人が生きることを強く肯定されているように感じる。

 そんな印象が装丁と重なって、長いあいだ、題字は本人の直筆だと思っていた。

でも、この字を書いたのは深沢七郎ではない。

佐野繁次郎である。文学者との交流も深く、横光利一をはじめとする多くの作家の本や雑誌「銀座百点」などの装丁を手がけた洋画家。あの「暮しの手帖」の花森安治にも影響を与えたといわれる人物である。

特に個性的なのが手書きの文字だ。

均整のとれた美しい書というわけではないが、絵画的なデザインとも違う。

落書きのようにかすれてはいるが、抑制がきいていて、下手に見えるわけでもない。その絶妙なバランス。見れば確かに好きだと感じる、真似してみたくなる、でも絶対に再現できない文字。

その装丁を、いわゆる「佐野本」と呼んで蒐集するコレクターがいるほど、多くの人を惹きつける理由は一体どこにあるのだろう。

私は本書をきっかけに佐野繁次郎の存在を知り、展覧会に行き、図録も買い求めたが、その答えにたどりつくことはできなかった。

ところがある日、本棚の中におさまっているこの本を開いて、いつものように読み始めたとき、ハッとしたのだ。なあんだ、深沢七郎がここに書いてくれているじゃないか、と。

ボクはいろいろな趣味があるがギターを弾くことと小説を書くことでは似ていないような気がする。けれども楽譜に向かってギターを弾いていると、その作曲者の表情や生活が瞼に浮んで来るので(ハハア、こんなふうな顔をして、こんなふうなことを考えながら)と思ったりしているうちに自然に物語が現れてくる。これは、ピアニストやヴァイオリニストは誰でも同じだと思う。誰でも考えてるけど原稿用紙に書かないだけなのだ。

『言わなければよかったのに日記』という文字を眺めていると、確かに「作曲者の表情や生活」を瞼に浮べて、「自然に物語が現れてくる」ように書かれている気がする。作者とともに、愛するギターの音色を響かせるような文字。

画家である佐野繁次郎にとって、本来の表現手段である絵ではなく文字を書くことは、趣味ではないにせよ、演奏者としての喜びや心地よさを感じられることだったのではないだろうか。

文字を媒介として出合う、色彩豊かな言葉の音楽。そこに人は想像した物語を感じとるのだろう。

譜面どおりのようで、読み手が違えばまったく同じリズムにはならない。

本を読むということもまた、一人ひとりの心のなかで、音楽を奏でるようなことなのかもしれない。

2016年8月29日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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