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第18回 一葉の貌 『Leaves: 立花文穂作品集』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第18回 一葉の貌 『Leaves: 立花文穂作品集』

第18回 一葉の貌

『Leaves: 立花文穂作品集』(誠文堂新光社)立花文穂 装丁:著者自装

「へのへのもへじ」のはなしをしよう。

そう言って奥の部屋から手招きをされたような錯覚に陥る本と出会った。『Leaves: 立花文穂作品集』である。

この本がすごいのは、そんなこと一度も考えたことがないはずなのに、思わず「そうです。そうです」と膝を叩いて、にじり寄ってしまいそうになるところだ。私もずっと、「へのへのもへじ」について語る相手を探していたんです。

そうかい。では、こちらへ。

 その部屋の主、立花文穂という存在を意識したのは、今から10年近く前のことだ。

写植からDTPへの過渡期の終わりで、新刊の本や雑誌では写研書体を滅多に見なくなっていたころだった。

当時の私は、それらがパソコンのフォントではなく写植の書体であるということもよく理解しないまま、身のまわりにある文字の変化に戸惑っていた。

それまで毎日のように眺めていた木や、ビルや、大きな橋が、ある日忽然と姿を消しているのに、誰も気づかずに生活している(ように見える)感じ。

何がなくなったのか、そこに何があったのかを知らせようとしても、肝心の「名前」がわからない。

それは言葉にならない喪失感だった。

 そんなとき、書店でその新しい雑誌を見つけたのだ。

この原稿を書くまで、それが正確にはいつだったのか思い出せなかったのだが、書店に積まれた本の中で、すでに異様な存在感を放っていたことが一つの答えでもある。もしも写植の全盛期であったなら、それほどまでに強い印象を抱くことはなかったかもしれない。

それは『球体』という見慣れない名前の雑誌で、しかも創刊号の特集は「文字のはなし」と表紙にかかれていた。

今にして思えば、写植が「文字の写真」であるという事実を妙に納得させる、生々しい光を湛えた文字は、まぎれもなく、あの木や、ビルや、橋と同じ形をしていた。

それを発見したときの気持ちは、うれしさよりも、ほとんど嫉妬に近かったような気がする。

私が名前も知らないこの文字を、何らかの意思を持って選んだ人がいる、と。

中を開けばそこには、書体見本でもデザイナーのインタビューでもない、ただの風景の写真があった。

 それ以来、「立花文穂」という名前は幾度も目の前にあらわれた。

立花文穂の本業はブックデザインではないので、装丁を手がけた数はそれほど多いわけではない。

それでも、偶然目に入った本から不思議な引力を感じて手にとると、ああ、やっぱり、ということが度々あった。

 そのひとが、20年間の創作活動をまとめた作品集を出すという。

意外な表紙を見て、顔が緩んだ。

ひょっとして、これは「文字だけの装丁」ではないか。

「文字のはなし」をしよう、と手招いていた、あの日と同じだ。

「へのへのもへじ」こんなにふさわしいアイコンはないと思った。

 本書には『球体』の序文も収録されている。少し長くなるけれど、引用したい。

はじめに「文字」ありき。
口々を、伝達していくことばの発生のまえに人々は、「文字」を感じていたにちがいない、とボクは考える。はるか遠い、ずっとずうっとむかしのはなしであるのだけど、ひとは、デコボコした山や谷を見て、ぐにゃぐにゃした川の流れを見て、のっぺりとしたおおきな空を見て、ちりぢりにちぎれゆく雲を見て、そして月の軌道を見て、太陽の放射を見てた(はずだ)。
すべて、「文字」が「文字」になるまえのはじまりのかたち。
いまでも、ボクたちの住む日常のなかに見つけることができる。それは、もっともっと小さい出来事や風景かもしれない。しっかりとしたまなざしで、じっくりと観察しないと見逃してしまう。発見してもなお、観察してみる。そして、ボクはその発見や観察がやっぱり「文字」のはじまりだとおもっている。
そんなまなざしで、世界を見ているひとたちが他にもいるにちがいない。「文字」とはいわないかもしれないけれど、きっといる。
そのひとたちを、あつまって『球体』ができる。はじまりのかたち。おぼろげながらも、球形のかたまりが見えてくるかもしれない。

 私はこの文章にとても励まされた。

立花文穂の文字への執着は、私が文字に感じる音や味へのそれとはまったく違うものだけれど、「出来事や風景」として文字を眺めているという点においては完全に同じだ。

ただの落書きに過ぎない「へのへのもへじ」だって、同じ顔は二つとない、一葉の紙の上におこる「出来事」であり、「風景」である。

文字が現れた原始の姿と、文字の集まりから生まれる言葉の、あわいに棲む空想上の生き物みたいだ。

しかもそれは世界でも本当にわずかの、日本語を操る人だけが名前を知る生き物で、その奇跡みたいな現象を、みんなが当たり前だと思っている。なんておもしろいのだろう。

そのおもしろさを、作者は次のような言葉に変えて宣言している。

僕がつくる文字は、たいがい読めない。
文字は、もっと個人的なものでもよいだろう。
自分だけが解かる、そして、
自分にも解からない、コトバにならないカタチ。
それが僕がつくる文字である。
僕は、いつも、文字を探している。
集めた文字の断片をつなぎ合わせては、
また新しい文字をつくる。
今日も、ひとりごとのように
ぶつぶつと文字をつくっている。

 そんな創作の日々から生まれた、インクの匂いが漂ってきそうな葉書やポスターも、活字や写植、古い紙を散りばめて丹念に作り上げられたコラージュも、しなやかな紙の手触りも、この本は隅々まで五感を刺激するよろこびにあふれている。

しかし「本文」は、アナログ感に満ちた作品とは対照的な、良い意味で普通のデジタルフォントで組まれていて、自分自身を語る言葉はオブジェにしないひとなのだな、と思った。

その選択に垣間見える冷静な一面が、むしろ文字への静かな情熱を感じさせる。

2016年10月1日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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