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第19回 巨人、相対す 『橋本治と内田樹』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第19回 巨人、相対す 『橋本治と内田樹』

第19回 巨人、相対す

『橋本治と内田樹』(筑摩書房)橋本治/内田樹 装丁:多田進

 著者名しかない、と思ったら、つまりこれがタイトルなのだった。

橋本治と内田樹。

どちらも名の知れたひとである。

橋本治は「○○作家」という肩書きをつけようがないほど幅広いジャンルにわたって執筆活動を続ける奔放な書き手であり(何しろ青春小説から古典文学の現代語訳、セーターの本まで出しているのだ)、内田樹といえば、哲学者、教育者、武道家など、実に様々な顔を持つ当代きっての教養人。

活字から滲み出る気迫はまさに「知の巨人」というイメージにふさわしい。そんな二人が対決して、火花を散らす本なのだろうか。

いや、字面をよく眺めてみると、どうやらそんな雰囲気でもないらしい。

火花を散らすどころか、なぜか不思議なシンメトリーを感じさせる二人だ。

「橋」と「樹」の字も、それぞれの名前が一文字だけのところも、妙に似ている。

リバーシブルの傘とレインコートみたいに、この二人、実はすごく相性のいい組み合わせなんじゃないだろうか。

真ん中の境界線の上で、小惑星みたいに浮かんでいる「と」の字もいい。線の太さ、力強さのわりに、重力を感じない。

異次元の宇宙で、解けない知恵の輪をめぐって二人が向かい合っているように見える。

 本書は文字どおりの意味で「橋本治と内田樹の対談集」である。

「僕はね、なんだか議論とか論争がわかんないんですよ。ぜんぜん違う考えの人を説得しようとするのって無駄じゃない? って思っちゃうんですよ。」

と言う橋本に対して、

「対立点を明らかにするためにわざわざ会うなんて、何の意味もないですよ。」

と、すぐに同調する内田。

そんな彼らの話の中心にあるのは、「橋本治とは何者か?」そして「橋本文学とは何か?」というテーマだ。 これまで膨大な数の作品を発表しながら、なぜか批評、書評の類がほとんど存在せず、文学的評価も、人物の実体も、謎に包まれてきた不思議な作家。

その橋本治とは同世代であり、1977年のデビュー作『桃尻娘』からのファンだという内田が質問し、橋本が答える形式で対談は進んでいく。

幼少時の記憶から文学論、創作の秘密まで、言葉を操る文字づかいとしてのエピソードもおもしろい。

橋本  『桃尻娘』のときには、その話者の息遣いをぜーんぶ字にしようと思ってました。だからふつうの人はぜんぜん気づかないんだけどとんでもなく前衛的なこと一か所やったことがあって。男の子が、瞬間息呑むんですよ。そこを「、」ではじめたの。
内田  はあーっ……。これは前代未聞ですよね。
橋本  リアルに考えると、そういう息の呑み方をしてる。「あっ」でも「ん」でもないんですよ。読点一つ分に、息が詰まってるんですよ。

 読み始めてすぐに気づいたことは、橋本が自己分析するときの表現の独特さだ。

「俺がまたややっこしい人で」

「困った人なんですよ」

「当人はそれが一番気に入ってるけど」

「基本的に、この人の構造は――」

という具合に、まるでもう一人の自分が自分を外から眺めていて、スケッチするかのような話し方をする。

 一方の内田は、「僕、あまりパーソナリティが出ないんです。対談しているほうが。」と自ら述べるように、あまり自己主張をしない。

橋本が語る「橋本治論」に対して、「ほうほう」とか「ああー」とか、控えめな相槌で聞き手に徹している。

そういう意味では、対談というより、内田樹による橋本治のインタビューというほうが正確かもしれないし、二人の名前が同並列に扱われているタイトルと、その構図を象徴するかのような装丁に違和感を覚える読者だっているかもしれない。

でもこの本が読み物としてエキサイティングで、ああ、「対談」っておもしろいなあとしみじみ感じさせられるのは、おそらく本人たちも予期していなかった展開で、二人の関係が次第に相対してゆくところだ。

そもそも論争など起きようがなかったはずの「橋本治」というテーマが、図らずも「自分のこと」をめぐる対立構造を生み出す。

橋本  私にとっては自分は謎じゃないんですよ。
内田  そうなんですか?
橋本  そうなんですよ。だって使っているんだもん。
内田  そ、そうですよね。
橋本  使えなかったら謎だけど(笑)。

          (中略)

橋本  自分は謎じゃないんです。他人のほうが謎なんです。逆に「えっ?! 他人はこういうふうに考えてないの?」みたいな。だって自分がこう考えるというのは、自分にとって当たり前じゃないですか。

「……しない。ふつう、そんな考え方はしないです!」

めずらしく強い態度で否定した内田は、「僕は自分がいちばん謎ですね。」と語りはじめる。

誰かの意見に反応するとき、自分がなぜそのように答えたのか、その基準は何なのか、本当には理解していない、と言うのだ。

理屈ではなく身体で「わかる」と言う橋本に対して、一方で「わからない」と頭で考える内田。彼らはまったく別の考えを持っているように見えるけれど、まるで他人を語るように自己分析する橋本と同様、内田も自分というものに対して揺るぎない距離感覚を抱いている。自身を対象化し、対峙する感性とでもいえばよいだろうか。

その点で一致しているからこそ、両者は対等に向かい合うことができるのだろう。リバーシブルの傘とレインコートみたいに。

そのことを知った後では、装丁に並ぶ二人の名前がまた別の意味をもつ。

シンメトリーの意匠に見えていたものが、その近さゆえに、違いがより際立つ。

強烈な個性を持った二人の巨人が、読者である「自分」の目の前に知恵の輪を差し出してくる。

2016年11月17日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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