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第21回 言葉の襞を味わう『小説家のメニュー』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第21回 言葉の襞を味わう『小説家のメニュー』

第21回 言葉の襞を味わう

『小説家のメニュー』(TBSブリタニカ)開高 健 装丁:三村 淳

 開高健の文章は、こわい。

数多くの小説やノンフィクションの中で描かれている、混沌とした戦場や壮絶な自然、そこで見た生々しい血と死のせいだろうか。

世界中の辺境を旅し、骨太で、男性的なイメージの強い作家だからだろうか。

戦争体験をもたず、アウトドアにも縁がなく、家の中で、寝転がってただ本を読んでいるだけの私にとって、人生に影響を受けた作家として挙げるのはちょっと後ろめたい。

でも「食」をテーマにした随筆は特別だ。

ユーモアがあって、圧倒的におもしろい。次々に読みたくなる。

ただし気楽には読めないというか、エネルギーを消耗するというか、エッセイなのにいつも緊張する。

なぜだろう、ずっと、そんな気がしていた。

 その理由を教えられた一冊が『小説家のメニュー』である。

実を言うと最初に読んだのは文庫でだったのだが、後にこの単行本を発見し、装丁に惹かれて思わず買ってしまった。

古い本が好きなら、この手触りを嫌いなひとはいないだろう。

表紙を包み込んだパラフィン紙の向こうに、幾重もの襞になった夥しい数の活字が透けて見える。どこか不気味で、古の経典や呪符のようだ。魑魅魍魎と妖怪変化が跋扈する世界。

 タイトルと著者名は手書きの文字だけれど、同じ「手書き」でも、それぞれ微妙に異なる味わいの筆跡でかかれている。

ほとんど力のこもっていない走り書きのようなタイトルの文字に比べると、「開高健」という名前のほうは、別人が違うペンで書きつけたような、ちょっとふてぶてしい「幼味」のある文字だ。

いま私は人生で初めて、「幼味」という言葉をおそるおそるつかってみたのだが、それはタイトルに添えられている、このような文字列からの借用である。

美味・珍味・奇味・怪味・媚味・魔味・幻味・幼味・妖味・天味

 これらの言葉からもわかるように、本書は美食自慢のエッセイではない。

なにしろベトナムのジャングルで出合ったネズミの煮込みから始まり、ピラーニャ(ピラニア)の刺身やヘビのスープ、シューマイやチョコレート、さらには水まで、著者が世界各地で出合った様々な食がどの「味」に属するのか、目次やトビラでわかるようなしかけになっている。

 ときどきわたしは徒然なるままに、およそこの世の中でもっともノーブルな味とはどういうものだろうか――と考えてみることがある。
 この場合、味というのは味そのものをいっているのであって、料理のことではない。あまい、すっぱい、しおからい、にがい、からい――甘・酸・鹹・苦・辛という味の五要素の他にも美味、珍味、魔味、奇味……とあり、ちょっと形容語を並べてみても、鮮、美、淡、清、厚、深、爽、滑、香、脆、肥、濃、軟、嫩……と列ねていくこともできるのだが、わたしにいわせると貴味――つまり、もっともノーブルな味というのは、山菜のあのほろにがい味をいうのではあるまいか、とふと思うことがある。そして、この季節になると、山が恋しくなってくるのだ……。

 こうして当たり前のように並べられた言葉を読んでいるだけで、陶然となってしまう。豪華絢爛なフルコースみたい。

「美味」や「珍味」ならわかるけれど、「貴味」というのは独特な表現である。「媚味」や「天味」に至ってはもはや自分の語彙力にはない。

試しに辞書を引いても出てこなかった。

たとえ知っていても、とうていつかいこなせないだろうと思う言葉がたくさん含まれている。

 でも、開高健は違う。

躊躇なく、恐れずにつかう。

読み手に味を伝えるために、いくつもの言葉を連ね、意外な言葉を組み合わせ、存分に技巧をこらす。

文章で伝えられる、と確信していること。

憑かれたような食への執着にも似た、その凄まじい気迫に、私は畏れを抱くのだと思う。

この本には言葉で「味」を形容することのおもしろさ、奥深さが満ちている。

『小説家のメニュー』というタイトルがまさにピッタリだ。

 私がいちばん好きなのは、カニのおいしい食べ方について書かれているところ。

 お湯をがらがらと沸かして、カニをその中にさっとくぐらせて、そのまま土佐酢、ポン酢――それはお好みしだいであるけれども、そこへちょっとつける。
「あ、うん……」
 といって、頬ばる。

「がらがら」というお湯の音が、「ぐらぐら」でも「ぐつぐつ」でもない、それ以外には考えられないことにまず感動する。

カニを待ち受ける鍋底から大きな気泡が沸きあがり、手を近づけただけで湯気の熱が伝わってくる感じ。意外なコード進行のように挿入される「あ、うん……」という色っぽい声も、カニの脚を汁ごと口で受け止める姿が目に浮かぶ。想像ではない。実際に私が食べさせてもらっているのだ。その幸福感。

たぶんこれらの描写がなくても文章の「意味」は変わらないのだが、ほんのちょっとの加減で、隣に並んだ文字が違うだけで、読者に伝わる「美味」はまったく違う。一流のシェフがつくる料理のように。

 ところで著者自身はシェフを気取るどころか、料理すること自体には興味がない。

「わたしは解釈と鑑賞をするだけである。その代り、料理をつくるのに注ぐだけの注意深さと情熱を傾けて、解釈と鑑賞にあたっているつもりである。」 と、キッパリ宣言しているように、あくまでも読者に味を届ける「仲介者」としての姿勢を崩さない。

解釈と鑑賞。

著者が対面している「味」は、どれも自分の手でつくりだしたものではない。天地や火や風のように、もとから自然の中に存在していたものだ。

まったく同じ味は二度とない、刹那の感情を、真っ白な原稿用紙に文字を書きつけ、言葉を尽くすことによって証明したいという切なる願い。読者は文字から食を体験しているようで、実は書き手の心の内面をのぞきこんでいる。

そして思い知らされるのだ。言葉の襞が豊かなひとは、見える世界がこんなにも違うものか、と。

なんて贅沢な人生だろう。

そんな人生に憧れることは、とても胸の高なることで、そしてやっぱり、ちょっとこわい。言葉を尽くしたその先には、何があるのだろう。

この装丁は、そんな心持を見事に映してくれていると思う。

2017年2月1日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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