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『梔子』ナベタン・ヘッセ

文字文学

『梔子』ナベタン・ヘッセ

文字にまつわる小説・随筆などを青空文庫収録作品から一冊にまとめた『文字文学Ⅱ』(type.center 編)掲載作品からナベタン・ヘッセの『梔子』冒頭部分をご紹介いたします。


梔子

ナベタン・ヘッセ

 その日、私が暮らす街は春の穏やかな陽気に包まれていた。何の気なしに部屋の窓を開け放つと、空から降り注ぐ透き通った光が私の頬をやさしく照らし、それと同時に、梔子か何かの花が放つ甘い香りがどこからともなく漂ってきた。体中の細胞ひとつひとつが目を覚ますような、そんな爽やかな感触が内側から駆け上がって来るのを感じ取ったその時には、私の足はもう部屋の外へと歩き始めていた。

路地を抜け、街並みを抜け、いつしか私は近くを流れる川のほとりへとたどり着いた。空に広がる雲ひとつ無い晴天。ビルが樹木のように生い茂り、そこから伸びる枝のように電線が張り巡らされているこの街では、空の存在感というものはどうしても希薄になりがちだ。だから、私にとってその晴天は、ひときわ有難いもののように感じられた。抑圧された日々を送っていなくても、開放的な気分になるし、環境問題のようなことに別段思いを馳せていなくても、自然の恵みに感謝したくなる。そんな不思議な瞬間であった。意志とは関係なく高揚する気分を胸に、私は川に沿ってあてどなく歩き始めた。川の両岸は整備され、芝生と木立からなる静かな公園が細長く続いている。あたりには、キャッチボールに興じる親子や、ランニングをする学生、ベンチで読書に耽る老人などが、ぽつりぽつりと点在していた。みな、自然の気配が比較的間近に感じられるこの空間で思い思いのひとときを過ごそうとしているのだ。いつしか私もその一部となった。

 どれくらい歩いた頃だったろうか。道の向こうに〈のぼり〉のようなものが見えた。選挙演説だろうか。いや、選挙が近々あるなどという話は聞いていないし、そんなはずがない。どうやら出店のようだ。こういう天候だし、私のように散歩をする人も多いだろうから、飲み物を売っているのだろう——などと、ぼんやりと遠くに見える〈のぼり〉について思いを巡らせているうちに、そこに記された文字を読める程度の距離まで近付いてきた。

  生あります

 のぼりにはそう書かれていた。

  〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 などと書かれたものもあった。前者はなんとなく分かったが、後者はよく分からなかった。これは一体どういうことなのだろうか。そのままのぼりが立つ場所まで歩みを進めた。


つづきは『文字文学 Ⅱ』にて。BCCKSの機能を利用して、このままお読みいただくことができます。


他の作品も一冊にまとめた『文字文学 Ⅱ』は、各電子書籍ストアで配信されているほか、BCCKSでの電子書籍版『文字文学 Ⅱ』の閲覧は無料、文庫本サイズの紙本を注文し購入することもできます。収録作品はtype.center bcck storeでご覧いただけます。文学であじわう文字をお楽しみください。

2018年5月16日

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type.center編集部

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