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第22回 ひとりぼっちの地図 『この店、あの場所 Here,There and Everywhere(POPEYE BOOKS)』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第22回 ひとりぼっちの地図 『この店、あの場所 Here,There and Everywhere(POPEYE BOOKS)』

第22回 ひとりぼっちの地図

『この店、あの場所 Here,There and Everywhere(POPEYE BOOKS)』(マガジンハウス)松浦弥太郎 装丁:前田晃伸/上條慶

 今回は趣向を変えて、ガイドブックを紹介したい。

グルメや旅のガイドブックといえば、彩りのいい食べ物や美しい風景の写真をつかった表紙をよく目にするけれど、この本は違う。

かなり異色ともいえる「文字だけの装丁」である。

誰かのイタズラみたいな、壁に描かれたストリート・アートを思わせる文字。

ところどころ、ペンキが垂れているように見える部分もある。

 ひょっとしたら、表紙一面に並んでいるのが何なのか、すぐには気づかない人もいるかもしれない。

実際、私が最初に思い浮かべたのは迷路だった。

出口が見えない複雑な巨大迷路を、パックマンみたいに行ったり来たりしながら目線がさまよう。

パックマンはたぶん気づかないけれど、プレイヤーであるもう一人の自分には、ある意味を持った文字列が浮かび上がってくる。

 旅の一番の楽しみは街を歩くことだ。
 宿に着いたら、まずは周辺を歩く。地図は持たない。ただひたすら気の向く方向にまっすぐに歩く。何があろうとなかろうと、ただただ歩く。ゆっくりと。
 しばらく歩くと、街の雰囲気ががらりと変わる境界線のような一本の道に気づく。するとまた、右でも左でも、気の向く方向に曲がり、同じ距離を歩く。そんな歩き方を繰り返すと、自然と出発点に戻ってくる。

 その巻頭言を読んだとき、そうだ、このひとは、あの頃もこんなふうに当てもなく街を歩いていたよな、と思った。

「このひと」とは、本書の作者、松浦弥太郎であり、「あの頃」とは、私が彼の存在を知った『最低で最高の本屋』という初期のエッセイ集が出た頃のことである。

「学校では教えてもらえないことを知りたい」と、18歳で単身サンフランシスコへ渡り、知り合いがいない、言葉もわからない街を放浪した孤独な青春。

就職氷河期の真っただ中にいた大学生の私にとって、「COWBOOKS」というユニークでお洒落な古書店の店主であるという作者の自由な生き方は新鮮だったし、シティポップな文体にも心惹かれた。

 それから遡って『本業失格』を読み、『くちぶえサンドイッチ』を読み、ますます好きになって、新しい本が出るたびに買って、でも五、六年経った頃から、何となく読まなくなった(雑誌の連載は楽しみにしていたけれど)。

離れた理由はよくわからない。

松浦弥太郎はあいかわらず、というかさらに人気の文筆家で、新刊がいっぱいありすぎて追いつけなくなったという理由もたぶんあるけれど、有名な雑誌「暮しの手帖」の編集長にも就任し、メジャーになっていくのがちょっと寂しいような、十代で夢中になったミュージシャンの新譜を素直に聴けなくなるような、そんな感じだったのだと思う。いつまでたっても「ていねいなくらし」からほど遠い自分が劣等生に思えて、後ろめたくなったのかもしれない。

 そして久しぶりに読んだのがこの本だった。

英字表記しかない作者の名前が、あまりに慎み深いものだから、本を手にとったあとでようやく誰の本なのかに気づいたくらいだ。

同時に、出会った頃の印象が鮮烈によみがえってきた。

それは 「HERE,THERE AND EVERYWHERE」 の文字から伝わってくる、やんちゃで生意気な少年のイメージだ。

そうそう。そうなんだよな。わかってるなあ。

読む前から、すっかりうれしくなってしまった。

今ではスマートな大人の男性の代名詞みたいになっている「このひと」だけど、本質的には不良なんです(という願望)。

洗練された「ていねいなくらし」の根底に、ケルアックの『路上』の世界のような、でこぼこで、がたがたの、きれいに整っていない道が通っている。

その二面性が、たまらなく魅力的に映るんです。

 本書には、国内・海外を問わず、いくつもの魅力的な街が登場する。

銀座、青山、横浜、浅草、新宿、中野、尾山台。ニューヨークやハワイ、台湾、そして「COWBOOKS」がある中目黒。

「お気に入りの店」として紹介されるのは、ガード下の小さな中華料理店から、和菓子屋、パン屋、アンティークショップ、高級ホテルのバーまで様々だけれど、どれもにぎやかなメインストリートにはない。静かな通りや路地裏に隠れている、人の顔が見える場所ばかりだ。

 暮らしはじめた頃のはじめの2ヵ月、僕はマンハッタンを北から南、東から西と、道という道のほとんどを歩いた。そんな旅が僕を作り、そこでの暮らしが、今の僕を育てたと言ってもいいだろう。25年経った今でも、こうして変わらずに在り続けている店や、すてきな場所が残っているのも、ニューヨークが好きな理由である。

「あの頃」と違うのは、もう孤独な旅人ではないということ。

そこで待っているのは「どこまでも歩いて、いつまでも歩いて」出会った、僕だけの「この店、あの場所」であり、「歩かないと見つからない」ものである。

その豊かな実体験に支えられた揺るぎない信念は、大人になることを――時を重ねたからこそ輝く世界を照らし、まっすぐに肯定してくれる。

 女性のハンドバッグに入るような判型の小さいガイドブックも便利だけれど、「地図は自分で作るもの」だという作者の信条を表しているのだろうか、この本はハードカバーの雑誌くらいの大きさがあって、旅先で持ち歩くのには向かないかもしれない。

ここは潔く、部屋の中で、丁寧に淹れた珈琲でも飲みながら、腰を据えてゆっくりと読みたい。

気になった場所をメモするだけでショップガイドとしても十分に役立つだろうけれど、何よりうれしいのは――たとえ現地に行けなくても――本の中で旅する楽しさを、じゅうぶんにわかってくれているところ。

著者本人によるイラストや、手書きの文字も味があるし、まじめで品のいい本文書体も好ましい。

珈琲を飲み終えるころには、仮想迷路に見えていた表紙の文字が、現実世界の地図を示しているように思えてくるだろう。

その地図は、歌うようにこう告げるのだ。

目の前の道は、どこへでも、あなたの行きたい場所につながっている、と。

2017年3月2日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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