文字による文字のための文字のサイト

type.center

第23回 誤読の証明 『仮面の告白』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第23回 誤読の証明 『仮面の告白』

第23回 誤読の証明

『仮面の告白』(新潮文庫)三島由紀夫 装丁:新潮社装丁室

「悪魔の証明」という言葉が近頃メディアをにぎわせているけれど、やっていないことを証明することと同じくらい、誤読を証明することも至難のわざだ。

たいていの場合、書いた本人に確かめることはできないし、読者が自覚することもない。

だから今まで誰にも相談したことはないのだが、何度読んでも、いつ読んでも、ちゃんと読めているのかどうか自信をもてない作家のひとりが、三島由紀夫である。

 中学生のときに初めて読んだのは『仮面の告白』だった。

なぜ覚えているかというと、学校の図書室で借りた文庫本を持っている私を見た母が、三島由紀夫はまだ難しいかもねえ、と言ったからだ。

母にとっては何気なく口にした一言だったろうけれど、それまでそんなことを言われたことがなかったので (中学生になってもマンガや物語ばかり読んでいた娘には、そもそも言う必要がなかったのだろうが) ハッとさせられた。

「大人の文学」を意識したのは、それが初めての経験で、そして確かに、よくわからなかった。

何も感じなかったわけではない。

きらびやかなレトリックの難しさにつまずいたのでもない。

それは、わかったふりをすることが怖いような、作品世界に入りこむ自分を他人に悟られたくないような、今までに感じたことのない種類の「わからなさ」だった。

当時は深く考えてみなかったけれど、「わからなさ」の正体は、内容と装丁との違和感から始まっていたように思う。

告白すると、「三島由紀夫」という作家について何も知らなかった中学生の私は、この本を最初に手にとったとき、江戸川乱歩の『怪人二十面相』とか、横溝正史の『犬神家の一族』みたいな、スリリングな推理小説を想像したのである。

永いあいだ、私は自分が生れたときの光景を見たことがあると言い張っていた。それを言い出すたびに大人たちは笑い、しまいには自分がからかわれているのかと思って、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみの色さした目つきで眺めた。

 今さら説明するまでもないだろうが、あまりにも有名な冒頭の回想から始まる『仮面の告白』は、同性愛や性的嗜好に悩む主人公の「私」が、幼年時代から青年期までを振り返り、自己欺瞞を告白する自伝的な小説だ。三島作品が新潮文庫におさめられた最初の一冊である。

現在の版ではデザインが変わっているけれど、以前は、三島由紀夫の本はどれも同じ体裁で、文字だけの装丁だった時代があった。

天地ぎりぎりまでいっぱいに、超極太の明朝体(少し平体がかかっていて、おそらくレタリングだろう)で書かれた、白地にオレンジ色の題字と、グレーの著者名。

黒ではなく、グレーというところが肝だと思う。この絶妙な色の組み合わせ!

 背の色が作家ごとに決まっているのは新潮文庫のわかりやすい特徴で、その中でも特に三島由紀夫のオレンジは書棚でよく目立つ。

朱肉を思わせる格式高い鮮やかさも印象に残るけれど、図書館や古本屋で時々見かける、すりきれて色褪せたり、黄ばんだりしたようなやつも趣深い。

古いニュース映像で見た日章旗のような存在感は、いかにも戦後文学の巨頭という雰囲気で、いや、むしろ戦争の時代の影が残っているようにも見える。

谷崎潤一郎や川端康成といった他の作家たちの作品の装丁と比較しても、明らかに意図的な演出だ。「形」を重んじる、三島由紀夫の思想、美学を体現しているのだろうか。

 でも現在の私がそう感じるのは、ナショナリズムやイデオロギーと結びつけて語られることが多い三島の評価や経歴をすでに知っているからだ。

大人になって読み返してみても、作品を個別に見ると、いまだに装丁との違和感がぬぐえないのである。

実際、数年前に『仮面の告白』の初版単行本(河出書房)を見る機会があったとき、あまりにも文庫と装丁のイメージが違うので驚いてしまった。

題字はどこか幼い感じのする細いゴシック体で、ロボットみたいに生気のない、不気味な子供の絵が描かれている。

それはまさに冒頭に登場する「蒼ざめた子供らしくない子供の顔」そのものであり、裕福なエリート家庭に生まれた美少年の歪んだ内面を表しているようだった。

人生は舞台のようなものであるとは誰しもいう。しかし私のように、少年期のおわりごろから、人生というものは舞台だという意識にとらわれつづけた人間が数多くいるとは思われない。それはすでに一つの確たる意識であったが、いかにも素朴な・経験の浅さと混ざり合っていたので、私は心のどこかで私のようにして人は人生へ出発するものではないという疑惑を抱きながらも、心の七割方では、誰しもこのように人生をはじめるものだと思い込んでいることができた。

 この小説が書かれた1949年、三島由紀夫は弱冠24歳の新進作家だった。

文庫本の奥付を見ると、装丁については「新潮社装丁室」(現在の表記は新潮社装幀室)とだけあり、このカバーがいつ生まれたのかもわからない。

誰かの手で、後から一方的に与えられた外面が、20代の青年による作品とは思えないほどの威厳と貫禄を漂わせていることは、暗示的でもある。

幼少のころから病弱で、強い身体と肉体美に憧れていた三島には、たとえ仮面であっても、その内に抱えた矛盾とは相容れなくても、均一な皮膚のように作品を覆う強靭な装丁がふさわしいと考えたのだろうか。

本が後世に残ることを知っていて、人生という舞台の壮絶な結末に向かって、仕組まれたものにさえ思えてくる。

そんな歪んだ妄想も、誤読のひとつに過ぎないかもしれないけれど。幸いなことに、それを確かめる術はない。

2017年4月3日

シェア

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

連載記事一覧
今日
昨日
おととい
ちかごろ
あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わゐゑを ん がぎぐげご ざじずぜぞ だぢづでど ばびぶべぼ ぱぴぷぺぽ 0123456789.
連載記事一覧
文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第9回 嫌いになれない『嫌われる勇気-自己啓発の源流「…

文字食が一目惚れした「文字だけの装丁」を紹介するコラム連載第9回目。今回はアドラーブームの火付け役となったといわれるベストセラー、岸見一郎/古賀史健『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)。嫌よ嫌よも好きのうち? 年末年始の読書にオススメの一冊です。