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第26回 二重の変身 『優雅な生活が最高の復讐である』

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第26回 二重の変身 『優雅な生活が最高の復讐である』

第26回 二重の変身

『優雅な生活が最高の復讐である』(リブロポート)カルヴィン・トムキンズ/青山南訳 装丁:戸田ツトム

 エレガンスに妖気がしのびこんでいる。

パッと目に入ってきたのは、見慣れないかたちをした「な」の文字だった。

どうしてだろう。

この「な」、……こわい。ちょっと邪念をひめた感じがする。

美しく、でも得体が知れなくて、この世にあってはならないものが魔術で召喚されてきたみたいだ。

「優雅な生活が最高の復讐である」

見事な翻訳としか言いようのないクールな題名を、なぜか不安が募る気持ちで眺めているうちに、不協和音を奏でているのは「な」の字だけではないと気づいた。

秀英初号の漢字をベースにしながら、仮名はいくつもの書体が混じりあっている。

まったく書風の異なる、大日本印刷(旧秀英舎)の秀英型と、東京築地活版製造所の築地型の混合。しかも、一号太仮名や24ポイント活字、30ポイント活字、35ポイント活字など、サイズが違う様々な書体を、何食わぬ顔で一つに組み合わせている。

なんと手がこんだ、しかしさりげないデザインだろう。

計算し尽くされた企てが、読者の深層意識に間違いなく訴えかけ、さらに不穏な予感を喚起させる。

 代表作『グレート・ギャツビー』で一躍時代の寵児となった作家、F・スコット・フィッツジェラルド。

ニューヨークで放蕩の限りを尽くしたあと、一九二四年の春に妻のゼルダとフランスへ渡り、そこであるアメリカ人に出会った。ジェラルド・マーフィと、その妻のセーラ・マーフィである。

「ひとりの人物が、ひとつの時代と場所の意味をすべて一人占めすることがある」

 フィッツジェラルドはのちにそう書いているが、彼にとって、マーフィ夫妻はまさにフランス時代の象徴だった。

「上流階級の極致」として生活と芸術を愛し、独創的なまでのセンスの良さと優雅さで人々を魅了したマーフィ夫妻。

ピカソやヘミングウェイ、レジェ、ポリニャック公爵夫人、ガートルード・スタイン、コール・ポーターなど、数多くの芸術家たちと華やかな交遊関係をもっていた。

 マーフィ夫婦の身近にいた人間たちにも、二人の独特な暮らしぶりやその魅力を一言で語るのはなかなかむずかしいようである。花の香りもかぐわしい美しい庭からは、海の向こうにカンヌとその彼方の山々が見渡せた。ジェラルドのレコード・コレクションはバッハから最新のジャズまで網羅した、まるで百科事典だった。おいしい御馳走は――周到な準備と給仕で――最高の味を味わうにふさわしい時と場所を選んでふるまわれた。マーフィは、楽しくてたまらないといったふうに、お客を楽しませるためにせっせと情熱的なまでに気を配っていた。きりっとした美貌とウイットの持ち主であるセーラは、自分の生活と友人との付き合いを心底から謳歌していた。(中略)……こういうことがぜんぶいっしょになってひとつの雰囲気を作りあげていて、多くの人間には、そこに仲間入りできるのが特権のようにも感じられていたのである。

 フィッツジェラルドはそんな彼らに憧れて、小説『夜はやさし』を書いた。

発表当時、失敗作として酷評されたにもかかわらず、現在はアメリカ文学の古典的名作として広く認知されている作品である。

本書は、モデルとなったマーフィ夫婦へのインタビューをもとにして、スコット・フィッツジェラルドの素顔と周囲の人々をめぐるエピソードを綴ったものだ。

 英文科の学生ならだれでも知ってることだが、フィッツジェラルドはディック・ダイヴァーのモデルにはじめはジェラルド・マーフィという名前の友人をつかい、話の途中で、ダイヴァーをF・スコット・フィッツジェラルドに変えた。これがこの本の欠点である。また、程度は小さいが、ヒロインのニコル・ダイヴァーにも同じ仕打ちを加え、その体つきとか癖はジェラルドの妻のセーラ・マーフィから拝借し、その他はすべてゼルダ・フィッツジェラルドをモデルにした。
 この二重の変身は、当時のフィッツジェラルド夫婦とマーフィ夫婦の友人たちには一目瞭然だった。アーネスト・ヘミングウェイはこの本について辛辣な手紙をフィッツジェラルドに送り、素材をもてあそぶな、と批判した。

 そのことを知ったうえで見直してみれば、本書の装丁は、フィッツジェラルドが異なる人格を継ぎ合わせたことで生まれた矛盾や歪みを表現していると解釈することができそうだ。

様々な活字書体を巧妙に組み合わせた題名が、「素材をもてあそんでいる」と感じられる一方で、その危険をあえて犯したからこそ、陳腐や凡庸から逃れているともいえるだろう。

 1984年に本書が日本で翻訳出版されたとき、装丁を手がけた戸田ツトムと同様にきわめて重要な役割を担っていたのが、「版面設計」というクレジットで奥付に名を連ねている府川充男である。

70年代に雑誌編集者となった府川は、世の中の出版物が写研書体一辺倒になりつつあった当時、「写植の既成書体にはない(金属)活字の仮名デザインが新鮮」であると考えた。

しかし、それらの書体デザインを写植機で使用するためには、コンピューターにおける「フォント」にあたる「文字盤」を新しくつくらなくてはならない。

そこで府川は印刷史の研究に没頭し、活字の二大源流といわれる築地・秀英の書体をもとにして仮名文字盤を自作したのだ。

さらにそれらの文字盤を、府川のセンスに一目置いていたデザイナーの戸田ツトムや羽良多平吉、日下潤一などに提供したことから、活字書体を多用したレイアウトが突如80年代エディトリアルデザインの第一線に出現するようになる。

 マーフィ夫婦のもとにあつまったパリの芸術家たちを、次のように表現した本書の言葉を借りるなら、彼らは「世界にこれまでとは違った相貌をあたえ、違った方法でものを考えようとしていた」。

雑誌の誌面を見た著名なデザイナーが「この文字を使いたい」と問い合わせてくることもあったが、文字盤の使用はごく一部の人々だけに限られていたという。

「データ」という目に見えない形態で「フォント」を入手し、誰でも簡単に使うことのできる現在とちがって、ある時代と場所で出会った人間関係のなかで、文字盤という実体のある「モノ」として書体が共有され、デザインの跳躍が生まれていったこと。

私がこの装丁に憧れるのは、そうして形づくられた文化を証明する一冊のように感じられるからかもしれない。

2017年7月3日

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文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

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