文字による文字のための文字のサイト

type.center
文字食のコラム 「その字にさせてよ」

第27回 近未来 『246』

第27回 近未来

『246』(スイッチ・パブリッシング)沢木耕太郎 装丁:緒方修一

「246」という数字から、ひとは何を想像するだろうか。

東京で暮らす私にとって、それは国道246号線のことである。多くの車が行き交う、首都高速の高架とビルの窓に見下ろされた広い道路。

しかし、本書のタイトルとして目の前にある文字は、地図上で識別するためにつけられた名前というよりも、道そのものに見える。ある一方を指し示すように長くのびて、平面なのになぜか奥行きを感じさせる。

ふと奇妙な感覚にとらわれた。まるでタイムマシーンで現代にやってきた文字のようだ。

昭和のマンガに出てくるロボットを思わせる、四角と尖った線のせいだろうか。「鉄腕アトム」や「サイボーグ009」を見て思い描いた、SF的な近未来とレトロとが入りまじった感じ。道の先には何があるのか、背景が描かれているわけではないけれど、コンクリートの壁やガラスの球体でできた見知らぬ街なみが目に浮かぶようだ。

でもそれが「いつ」からやってきたのか、時代はまだ判然としない。

 沢木耕太郎の『246』が書かれたのは、刊行から20年以上もまえのことだという。

1986年1月から9月にかけての出来事を日記ふうに綴ったエッセイで、雑誌「SWITCH」の誌上で連載された。「ついに単行本化!」いう帯の文句だけでなく、大判のずっしりとした本の佇まいにも、つくり手の感慨がにじむ。

もしかしたら、『深夜特急』はかなりいい本になるかもしれない。

 それは沢木耕太郎にとって30代最後の年だった。

のちに代表作となる『深夜特急』の原稿を書き、初めての小説『血の味』やロバート・キャパの伝記の翻訳にも着手した年。

そこに記されているのは、インドやアジアを放浪する旅人の姿ではなく、「東京という刻印のある都会」の作家の日常である。

 世田谷の弦巻という町に住み、三軒茶屋に仕事場を持つ私は、都心に向かうのに常にこの246を使う。タクシーやバスはもちろんのこと、地下鉄に乗る時でさえ、246に沿って都心に向かっていくことになる。いまの私にとっては、この246が「うち」から「そと」の世界につづく唯一最大の道であるのだ。

 本を読む。映画を見る。裁判を傍聴し、ラジオ番組に出演し、ときには数週間もカンヅメになって原稿と向き合い(でも書けず)、地方での講演や取材のために旅をする。しかし家に帰れば幼い娘が待っていて、寝るまえに創作童話を語り聞かせる……。

深夜のタクシーでひとり思いを馳せる、ダンディズムにあふれた作家の顔と、昼間の公園で子どもの成長に心を動かされる父親の顔。「246」は、そんな日々の、あらゆる目的地に続く起点であり、そして帰る場所を教えてくれる道でもある。

20代で経験した『深夜特急』の旅からすでに10年が過ぎ、その紀行文がようやく世に出た。書きたいことは次々とあらわれる。書きたくても、書かれなかったことがある。時間は限られている。

「246」を行き来しながら、作家の思考はサーチライトのように交差し、次に進むべき道を求め続けていた。

 しだいに日が短くなっていく。
 夕方になると、窓の向こうに広がる民家の屋根に影が走るようになる。国道二四六号線の真上を走っている首都高速の高架の影が西陽を浴びて屋根の上に長く映り、そこを走る車が、やはり長い影となって走り抜けていくのだ。陽が沈むと、影は消え、反対側の窓から美しいライトの疾走が見られることになる。

 本書を読んで、もっとも時代の流れを感じさせられたのは、どんなに多忙でも、おどろくほど精力的に人と会っていることだ。

それはもちろん大好きな酒を呑み交わすためでもあるけれど、ノンフィクション作家ならではの観察眼というのか、人間に向けるまなざしが温かいからなのだろう。

原稿を渡すために会う。原稿の依頼を断るために会う。お互いの近況を知らせあうために会う。理由はないが、会う。どこかで偶然会う。

現在ならメールやSNSで簡単に済まされてしまうようなやりとりが、相手のちょっとした顔つきや身ぶり手ぶりとともに丁寧に書き綴られ、影響を与えあっているのがよくわかる。

 その幅広い交友関係には、作家や政治家などの有名人だけでなく、様々な出版社の編集者たちも実名で登場する。

時はバブル前夜。ものづくりの現場にあった疾走感、出版やジャーナリズムに対する透明な純粋さをうかがい知ることができるのも、本書の醍醐味のひとつだと思う。

沢木が大学卒業後に就職した会社を一日で辞め、『深夜特急』の旅に出た理由について記された部分が、実は本の完成直前に編集者の意見によって大幅にカットされたという意外なエピソードが明かされたあと、編集者の初見氏が「本の装幀にぜひ使いたいと思って大事に取っておいたものがある」とカッサンドルのポスターを取りだしたのには興奮した。

「もしかしたら、『深夜特急』はかなりいい本になるかもしれない。」という一文も、その場面で登場するものだ。

 ところで、このエッセイがかかれた理由について、「あとがき」には次のような興味深い説明が記されている。

 私がまだ三十代だったある日、ひとりの若者が眼の前に姿を現した。彼は自分が新しく出す雑誌のために原稿を書いてくれないかと言った。テーマはサム・シェパードについてだという。沢木さんならサム・シェパードについて関心をお持ちだろうと思うから、というのだ。
 サム・シェパードという名前は耳にしていたが、原稿を書くほどのことは何ひとつ知らなかった。当然のことながら断ると、またしばらくして姿を現し、別のテーマを提示して原稿を書いてくれないかという。

 断っても、断っても、原稿の依頼をしつづけてくる編集者に根負けした沢木は、あるときついに原稿を引き受ける。しかし何もテーマが浮かばないので「一週間の出来事を日記風に書くことで切り抜けようとした」。

「雑誌」とは「SWITCH」であり、しつこい「若者」は編集長の新井敏記氏だ。

この文章を読んで、はっとした。 80年代の「SWITCH」のバックナンバーは、今も何冊か私の手元にある。

古書店で見つけるたびにバラバラと買い求めたものだからいくつも欠けているが、確かにサム・シェパードの特集号があった。

しかも一冊ではない。二冊、あった。

一冊目は、最初に沢木が執筆を依頼された1985年10月号である。奥付前の「サム・シェパードへのラブ・コール日記」によれば、あらゆる方法を試みたが本人への取材はかなわなかった、でもいつか必ず直接会うのだという編集者の決意が書かれている。もちろん沢木の記事は見当たらない。

二度目の特集となった1987年4月号でも、残念ながら編集部によるインタビューは実現しなかった。しかし、この号には、沢木の「246」最終回が掲載されている。

あのころの私が、ただ憧れて文字を追っていた雑誌の向こうに、生身の人間がいる。思いが、情熱が、流れているのを感じる。

タイムマシーンの存在を信じたくなるのは、こういう瞬間である。

2017年8月1日

シェア

文字食のコラム 「その字にさせてよ」

正木香子

文筆家。文字を食して言葉を味わう「文字食」日々実践をモットーに、エッセイ・コラム・ルポルタージュなどの執筆を行う。著書に『文字の食卓』(本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)、雑誌『デザインのひきだし』にて「もじのひと」連載中。

http://www.mojisyoku.jp/

連載記事一覧
今日
昨日
おととい
ちかごろ
あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わゐゑを ん がぎぐげご ざじずぜぞ だぢづでど ばびぶべぼ ぱぴぷぺぽ 0123456789.
連載記事一覧
連載記事一覧
文字食のコラム 「その字にさせてよ」
第26回 二重の変身 『優雅な生活が最高の復讐である』
第26回 二重の変身 『優雅な生活が最高の復讐である』
「文字だけの装丁」を味わう文字食のコラム連載「その字にさせてよ」。第26回目となる今回は、『優雅な生活が最高の復讐である』(リブロポート)をご紹介します。原題は "Living Well is the Best Revenge"。名翻訳から生まれた装丁です。
文字食のコラム 「その字にさせてよ」
第24回 愛と表記の王国 『世界のかわいいパン』
第24回 愛と表記の王国 『世界のかわいいパン』
「文字だけの装丁」を味わう文字食のコラム連載「その字にさせてよ」。第24回目は、ほのぼのとした文字とイラストに癒やされる『世界のかわいいパン』(パイ インターナショナル)をご紹介します。その表紙をかざる、インパクトのある文字は……。
文字食のコラム 「その字にさせてよ」
第22回 ひとりぼっちの地図 『この店、あの場所 He…
第22回 ひとりぼっちの地図 『この店、あの場所 Here,There and Everywhere(POPEYE BOOKS)』
「文字だけの装丁」を味わう文字食のコラム連載「その字にさせてよ」。第22回目は、文筆家・松浦弥太郎さんが大切にしているお店や場所を紹介した 『この店、あの場所 Here,There and Everywhere(POPEYE BOOKS)』です。
文字食のコラム 「その字にさせてよ」
第18回 一葉の貌 『Leaves: 立花文穂作品集』
第18回 一葉の貌 『Leaves: 立花文穂作品集』
「文字だけの装丁」を味わう文字食のコラム連載「その字にさせてよ」。第18回目となる今回は、文字や紙、本を素材やテーマに作品を制作している立花文穂の作品集『Leaves: 立花文穂作品集』(誠文堂新光社)をご紹介します。おや、君の名は……?
文字食のコラム 「その字にさせてよ」
第17回 憧れの音 『言わなければよかったのに日記』
第17回 憧れの音 『言わなければよかったのに日記』
「文字だけの装丁」を味わうコラム連載「その字にさせてよ」第17回目。今回は深沢七郎のエッセイ集『言わなければよかったのに日記』(中公文庫)をご紹介します。佐野繁次郎による題字がユニークで存在感のある一冊です。
文字食のコラム 「その字にさせてよ」
第9回 嫌いになれない『嫌われる勇気-自己啓発の源流「…
第9回 嫌いになれない『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』
文字食が一目惚れした「文字だけの装丁」を紹介するコラム連載第9回目。今回はアドラーブームの火付け役となったといわれるベストセラー、岸見一郎/古賀史健『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)。嫌よ嫌よも好きのうち? 年末年始の読書にオススメの一冊です。
文字食のコラム 「その字にさせてよ」
第6回 反響する文字『ノルウェイの森』
第6回 反響する文字『ノルウェイの森』
「文字だけの装丁」を味わうコラム連載も、いよいよ第6回目! 今回のテーマは、村上春樹の大ベストセラー『ノルウェイの森』(講談社)です。あの装丁を手がけたのは、著者自身でした。読んだことがある方も、もう一度読み返してみたくなりますよ。